昭和二二年、芝・麻布・赤坂の三区が合併して港区が誕生した。港区の旧芝区域には愛宕・三田・高輪、旧麻布区域には麻布、旧赤坂区域には赤坂、さらに東京水上警察署の六警察署が存在し、これらは千代田区および中央区、島嶼(とうしょ)部とともに第一方面本部に属していた(『新修港区史』一九七九)。
旧芝区域の愛宕警察署は、明治一四年(一八八一)宮本町警察署として開設され、同二六年高輪警察署を合併して芝警察署となり当時の芝区全域を管轄した。明治四〇年に芝区に七警察署が設置されたのに伴い愛宕警察署に改称、大正二年(一九一三)の警察署再編・合併で芝愛宕警察署となったが、昭和一二年に愛宕警察署の名称に復した(『芝区誌』一九三八)。愛宕警察署管内の特徴は、新橋駅とその周辺の繁華街、デモ・集会の行われる場所などが存在する点であった。三田警察署は、明治四四年に芝警察署三田分署が昇格して芝三田警察署と改称、開設された。のち昭和一二年に三田警察署と改称した(『芝区誌』一九三八)。三田警察署管内の特徴は、都心と京浜工業地帯を接続する国道一号(三田通り)、国道一五号、都道三〇号線(日比谷通り)等の幹線道路が通っている点であり、交通量増大により交通警察における任務が重要となっていく。高輪警察署は明治一四年に芝区高輪警察署として開設されたが、同二六年に廃止され、高輪地区は一時芝警察署の所轄となった。大正二年に芝警察署の高輪分署、白金分署が合併して芝高輪警察署が設置され、昭和一二年に高輪警察署と改称した(『芝区誌』一九三八)。高輪警察署管内の特徴は、迎賓館(赤坂への移転前。現在の東京都庭園美術館旧朝香宮邸)、各国大使館、皇族や政界、財界人など著名人の邸宅が多く存在し、警備警察の任務が重要となっていた点であった。
旧麻布区域の麻布警察署は、明治一四年に麻布警察署として開設され、同四三年に麻布鳥居坂警察署と改称された。大正二年以降、当時の麻布区は同署と霞町警察署(大正四年以降は麻布六本木警察署)の所轄に分割されたが(『麻布区史』一九四一)、昭和二一年両署の合併により麻布警察署の名称に復した(『港区史』一九六〇)。麻布警察署管内の特徴は、各国大使館が集中し、政治的デモなどへの警戒が重要とされていた点であった。
旧赤坂区域の赤坂警察署は、明治一四年に赤坂表町警察署として開設された。明治四四年の赤坂青山警察署の開設後、当時の赤坂区は赤坂表町署・赤坂青山署の両署により管轄されたが(『赤坂区史』一九四一)、昭和二一年、両署の合併により赤坂警察署となった(『港区史』一九六〇)。赤坂警察署管内の特徴は、各国大使館や東宮御所、秩父宮邸などの重要な警備対象、また明治神宮外苑でのメーデー集会や氷川神社、豊川稲荷の祭礼などの警戒対象が存在する点であった。
これらの警察署に加えて、明治以来の歴史を有する東京水上警察署が昭和二一年に港区芝浦に移転、その後、同二五年に竹芝、同四七年に港南へと港区内での移転を重ねた。水上警察の主な任務は、港湾・河川などにおける舟艇警ら、水上交通の指導や取締、事故処理、水難救助、密出入国や密貿易の取締、その他水上の各種犯罪捜査などであったが、水上警察活動に特化した水上警察署は、二〇〇〇年代からの警察署再編に伴う一般の警察署との統合などにより減少している。警視庁管内の水上警察署は、平成二〇年(二〇〇八)に廃止され、台場等の湾岸地区の急速な発展に伴い江東区青海に新設された東京湾岸警察署に置き換わった。 (福沢真一)