平成初期には、東京都が新たな副都心として東京湾の埋立地を開発した東京臨海副都心の整備が行われ、港区を取り巻く環境は大きく変化した。当初の構想では、職住近接の未来型都市としてテレビ局、情報産業、大規模商業施設、宿泊施設に加えて高層住宅を整備する計画であったが、バブル経済崩壊後の不況長期化により、臨海副都心事業における住宅開発の比重が高まった。
かねてから定住人口減少に悩む都心の自治体は公共住宅の供給増加などの対策を行っており、港区も既存の公営住宅建て替えの際の住戸増設などを実施していた。これらの政策に加え、地価下落に伴う民間住宅の大量供給や港区内でのIT産業の集積などにより郊外から都心部への人口回帰が顕著となり、バブル期に減少していた港区の人口は一九九〇年代末に増加に転じた。
一方、わが国の治安状況と警察行政は、厳しい局面を迎えた。グローバル化の進展に伴う犯罪の国際化、地域コミュニティや社会における規範意識の希薄化などの要因により警察の業務負担は増大し、平成一二年(二〇〇〇)前後の犯罪検挙率は戦後初めて二割前後に低迷した。またいわゆる警察不祥事の続発により、警察に対する公安委員会の管理が形式的との疑念から、警察組織への批判が激しくなった。これを受けた平成一三年の警察刷新会議の緊急提言、国家公安委員会および警察庁の警察改革要綱などにより、公安委員会の管理機能強化、空き交番解消やパトロール強化などの対策が打ち出された。また、警察署の事務処理に民意を反映させるべく、警察署長が警察署の業務について説明、地域住民の意見や要望を聴取し、警察行政への理解、協力を得る目的で警察署協議会制度が創設され、平成一三年に都内の全警察署に設置された。
また、地域における犯罪防止に関して平成一四年に「大阪府安全なまちづくり条例」が制定されて以降、多くの都道府県や市町村で「安全安心まちづくり条例」(生活安全条例) が制定された。これらの条例では、自治体の安全対策としての総合的な計画責任、推進体制、防犯環境設計に関連したガイドライン整備などが規定されている。また市民の責務として、自らの安全を確保するための措置を講じること、地域の安全に関する活動、自治体の責務に協力することが定められている場合も多い。これらの条例による「責務」規定は、具体的な法的義務や強制を含まないが、社会の価値観の多様化のなかで失われつつある伝統的な社会規範に代わる新たな社会的合意として大きな意義を持つとされる(田村 二〇一五)。この条例制定の動きは、平成六年に警察庁が犯罪予防の新たな専門部局として生活安全局を設置し、犯罪捜査を行う刑事警察に付随して行われてきた犯罪予防活動を強化して以降、地域安全活動において警察と地方自治体の連携強化の一環として全国で拡大したものである。
港区では、生活安全意識の向上、生活の安全確保および犯罪防止に向けた自主的な取組の推進などを目的に、「安全で安心できる港区にする条例」が制定され平成一五年四月に施行された。この条例では、港区、区民、事業者等の役割(責務)および生活安全の推進体制が規定され、特に港区の責務として警察・消防などとの連携強化、生活安全意識の啓発・広報、区民、事業者、各種団体の自主的な生活安全活動に対する支援などが挙げられている。同条例に基づき、港区の生活安全施策の実施について協議する場として港区生活安全協議会が設置された。この体制のもと、平成一五年以降に犯罪の起こりやすい場所に設置する監視用の「防犯カメラ」の設置促進・維持管理のための補助金交付、平成一六年に児童の通学路での安全確保のため区内の小中学生を対象に防犯ブザーの配布、平成一八年に港区内で発生した犯罪や火災、防犯情報を携帯電話などのメール機能で情報伝達する「みんなと安全安心メール」配信が行われた。
二〇〇〇年代の港区では、平成一七年の危機管理部の新設、同一八年の総合支所の設置など大きな組織改編が行われた。これにより、港区内では総合支所が設置された地区単位(芝地区・麻布地区・赤坂地区・高輪地区・芝浦港南地区)での治安対策が強化され、各総合支所の担当地域ごとに置かれる「生活安全活動推進協議会」が防犯対策の推進主体となり、町会・自治会による防犯カメラ整備、青色回転灯防犯パトロール車両によるホットスポットパトロールなどが行われている(「港区生活安全行動計画 平成三〇年度~平成三二年度」)。
東京都心部の港区では、経済・産業の中心地として昼間人口が多く、また六本木・赤坂など全国有数の繁華街が存在するため、総合支所の設置以前から区内各地域の地域特性を反映した防犯の取組を進めてきた。六本木地区では、平成一六年に港区生活安全協議会により「安全・安心まちづくり推進地区」に選定されたのに伴い、通学路パトロールなどの取組が強化された。また明治以来の繁華街の歴史を持つ赤坂地区では、平成二一年の指定暴力団・稲川会の総本部事務所の移転問題について、港区と町会、自治会、所轄の赤坂警察署などとの連携により、地域住民による事務所使用禁止仮処分申立てを経て和解が成立した。このように暴力団排除活動が急務とされた赤坂地区は、平成二三年に港区生活安全協議会により「安全・安心まちづくり推進地区」に選定され、通学路や看板パトロールなどの取組が強化された(同上)。
いわゆる暴力団排除条例は、暴力団およびその影響力を排除する目的で地方公共団体が施行する条例の総称であり、平成二二年に福岡県で施行された条例を皮切りに全国で制定・施行された。これらの条例では、具体的には暴力団事務所としての不動産取引の禁止、暴力団員への利益供与禁止などが規定されているが、港区でも平成二六年に「港区暴力団排除条例」が制定され、港区、区民、事業者の責務に関する規定に基づき、飲食店からの誓約書提出などが行われている。
平成二九年四月、「港区客引き行為等の防止に関する条例」が施行された(「広報みなと」平成二九年三月二一日号)。明治時代から、駅前や街頭にたむろする「客引き」が通行人を旅館や遊郭、見世物、バーなどの飲食店に誘い入れることは広く行われていた。平成から令和にかけての港区では繁華街での飲食店などの営業競争が激化し、路上などでの客引き行為が増加していた。東京二〇二〇オリンピック・パラリンピックの開催を控えて、港区では道路、公園・広場、駅など公共の場所での客引き行為などを明確に規制するとともに、飲食店事業者から条例遵守について誓約書提出を求め、港区生活安全パトロール隊を配置して条例違反者へ指導を行っている。また令和元年(二〇一九)、港区民や来訪者の夜間の安全を図るための取組として、客引き対策など区による安全・安心への取組に協力する夜間営業店舗・事業者に、協力証としてMINATOフラッグを交付するMINATOフラッグ制度を開始するなど、港区と事業者、関係機関との連携が強化されている。 (福沢真一)