東京都の戦災による被害は、『東京都戦災誌』(一九五三)によれば、死亡者は九万四二二五人、重傷者三万三九七四人、軽傷者九万九三六六人であった。このうち当時の芝区の死亡者は二五七人、重傷者四二〇人、軽傷者一六一〇人、麻布区の死亡者は一八〇人、重傷者一九七人、軽傷者一三〇六人、赤坂区の死亡者は六一四人、重傷者五一五人、軽傷者五〇三八人であった。各区別の被害についてはわからないが、東京都内の工場建築物の被害は被害面積が二〇万一〇〇〇坪、被害額五億一〇万円、東京都内の商業建築物の被害は被害面積が四六六〇万坪、被害額一九億三三五三万円であった。また、私有建築物については、一五七一万 九九二二坪、全国に占める割合が29・5%、被害額四八億八八八九万六〇〇〇円、全国に占める割合が38・6%であり、東京都の被害は他の都道府県と比較しても大きかった。さらに、区別の被害についても被害戸数や被害面積を見ると、麻布区と赤坂区は罹災面積が70%を超え被害が大きかったことがわかる。
こうした被害から立ちあがり、復興を遂げた港区の姿を次項から見ていく。
表10-2-1 区市郡別住宅被害戸数と被害面積
『東京都戦災誌』から作成。被害住宅戸数の旧東京市15区の小計は数値の計算が合わないが、そのまま引用した