通信(郵便・電話)

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港区の通信(郵便・電話)については、資料等で具体的に確認できる昭和期後半までの動きをここでまとめて見てみる。
郵便については、年々増加がみられ(図10-2-1-3)、その後は昭和五四年刊行の『新修港区史』によると、引受では赤坂が年間一億七〇五八万四七〇通で一位を占め、次いで芝の一億五四二〇万九四〇二通であった。さらに、外国公館が多く置かれていることもあって、外国郵便の配達数は、芝の一九四万九三一九通を筆頭に、高輪の一五一万四七〇八通が二位を占め、次いで赤坂の一三七万六六八通であった。特に赤坂は、外国郵便の引受でトップを占めて、二二三万七四三〇通であった。
昭和二八年二月一日から高輪郵便局が、港区芝三田田町の京浜国道道筋に完成した(「朝日新聞」昭和二八年一月二八日付)。明るくモダンな郵便局ということで東京郵便局の自慢であったという。同局の設置により白金郵便局は廃止され、高輪郵便局と統合されたが、電報だけは白金電報局で扱った。
電報・電話についてみると、電報については、昭和五二年度では三田局の国内着信が四七万九〇六五で最も多く、赤坂局の一〇万三五八〇がそれに続く。昭和五四年の全国の電報通数一一一九万と比較するとおおよその位置付けがわかる。
電話局に関しては、都心部でも銀座電話局が明治三一年(一八九八)の開設で最も早いが、次いで開設されたのが港区の芝局で、明治四二年であったという。区内の電話加入数は、郵便と同様に年々増加していった。
昭和二四年に電気通信省が設置されると、電話局は電報電話局に改組された。昭和三一年七月一五日には区内に白金電話局が開局した。
また、昭和三一年一一月一四日付の「朝日新聞」によれば、東京電気通信局では青山赤坂方面の電話事情の緩和のため東京四〇八電話局を同年一一月一五日から開設した。

図10-2-1-3 港区の1日平均の通常郵便取扱数

各年版の「区勢概要」「区政要覧」「今日の港区」から作成。通常郵便は、速達郵便・書留郵便も含む