まず、商業においては、新橋、田村町(現在の西新橋)一帯は大小の商社が並んでおり、次第に、新橋から田村町、虎ノ門一帯が、丸の内から続くビル街となり、大小の商店が軒を並べていた。その後、新橋から赤坂見附に至る一帯が高層ビル街となった。
商業地は新橋、田村町から始まって、浜松町・三田・麻布十番あるいは赤坂溜池・六本木•青山まで広がっていた。台地の居住地域は高級住宅街ならびに一般住宅地をなし、これら居住者を顧客とする商店が都電沿いに発達していた。また通勤者を客層にもつ新橋、田村町あるいは虎ノ門近辺には、これと異質の商店街が形成され、新橋駅と品川駅にはターミナル・デパートが開業した。
また、オリンピックを契機に青山地区は道路の拡幅があり、街の様相を一変させるとともに、新しいショッピング街となった。
特徴のある商業地区としては、赤坂溜池を中心とする自動車専門街があった。自動車販売の一流商社が軒を連ね、これに付属して部品販売商、修理工場もここに集まっていた。また、芝地区に分布する機械器具販売があり、工業部門の特色と一致をみせていた。また芝浦に屠場を有する関係から食肉の取引も盛んであった。これらは、卸売業であり、図10-3-1-1のように港区では、商業の中で卸売業と飲食店の比率が高かった。また表10-3-1-1からわかるように、販売額は卸売業が圧倒的に多く、飲食店、飲食料品小売業が続く。これに対し、小売業のイニシアチブをとっているのが食料品小売商と男子注文服店であり、また骨董品店が西久保(現在の虎ノ門)界隈に多かった。自動車、男子注文服、骨董品はいずれも都内一位を占めていた。変わり種としては麻布の古着市、古本市、三田の生花市場、新橋の美術倶楽部など古くから知られているものがあった。
一九六〇年代後半から七〇年代にかけて、高速道路の建設や幹線道路の拡張により町の様相が一変した。人口の流動と消費水準高度化を受けた、新興業種、スーパーの進出などにより、従来の商店街に著しい変化がみられるようになった。また、大都市経済の発展とビジネス集中化による昼間人口の激増に伴って、飲食店の急増など商業も大きく変貌していった。

図10-3-1-1 業種別商店数の推移

「港区要覧」「今日の港区」各年版から作成。ほぼ1桁で推移した代理商・仲立業、各種商品小売業は省略した

表10-3-1-1 業種別販売額の推移

「港区要覧」「今日の港区」各年版から作成。「-」は不明あるいは記載なし


次に、工業であるが、東京港を擁する重要地点として、芝浦、三田四国町付近は、重工業地帯を形成していた。この付近は戦災を免れ、大工場がたくましい活動を続け、東京湾の倉庫群と相まって大工業地帯となっていた。特に、新橋駅から品川駅に至る東海道線のレールを境に、三田側の平地は、工業地帯および準工業地帯に指定され、京浜工業地帯の一翼として大工場があった。他方で、古川沿岸の低地には、これらの下請としての中小工場群が密集していた。
工業の内容をみると、新橋、田村町方面では、都市軽工業としての印刷・製本、家具および装備品工場が主力として存在していた。他方、古川沿岸の地域は、金属製品製造業、機械製造業、電気機械器具製造業の下請工場が主体となっていた。
また、家具工業は港区の特徴であり、古い伝統と品質の優秀さは、他の追従を許さぬものがあった。昭和二九年(一九五四)の段階では、生産額においても荒川区に次いで都内二位を占めていた。
港区の工業全体の生産額は、昭和二七年の段階では、二三五億円で、そのうち電気機械器具の比率が最も高く、区内工業の33%を占め、次いで印刷・出版・機械・製造の順になっていた。五年後の昭和三二年には、年間生産額は五九〇億円を超え、東京都全体の3・7%を占めた。当時の区内工場、事業所数は約二九五〇となり、出版・印刷関係が電気機械器具を抜き最も多く、全事業所数の20%を占め、金属製品、家具・装飾品、電気機械器具の順に続いた。翌年には電気機械器具が再びトップとなるが、その後の工場数の推移は図10-3-1-2のとおりである。

図10-3-1-2 主要産業別工場数の推移

「港区要覧」「今日の港区」各年版および「工業統計調査」から作成。工場数が100を超えたことのある産業のみ抽出


その後も港区の工業は高度成長政策のもとに京浜工業地帯の一翼として目覚ましい発展を続け、昭和三九年度の年間出荷額は、一三〇〇億円を超えた。
しかし、都心化傾向の進展と高速道路網の建設がなされた頃から変化が見られた。古川沿岸の低地帯には、下請負を主とした小規模工業が密集していたが、高速道路の建設等により減少した。
また、京浜工業地帯は、昭和三八年を契機として、生産高の伸び率の鈍化が見られ、工場数、従業員数ともに減少し、都心部、北部、北東部の大幅な増加と対照的であった。これに対し、海岸沿いに発達する工場は発展を続けていた。この地域では、鉄工業、金属製品、セメント、砂糖、電気機械器具、輸送用機械器具など従業員二〇〇人以上の大工場があり、製品出荷額は極めて高くなっていた。