産業の概況

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一九九〇年代、港区には、約四万四〇〇〇の事業所があったが、その99%は中小企業であった。これら集積した企業の活動は、首都圏の経済活動を支える一翼となるとともに地域経済の主役として、区民の生活利便性の向上や定住化に大きな役割を果たしてきた。
他方で、近年の急速な国際化や情報化に加え、急激な円高の進行や価格破壊や産業の空洞化などにより、中小企業を取り巻く社会経済環境は、厳しいものになっていた。当時の景気は、緩やかな回復基調に足踏み状態がみられ、依然として厳しい状況であった。こうした中、中小企業には経営の近代化や新分野への進出、技術開発、情報化などを通して、経営環境変化への積極的な取組が求められていた。
港区全産業における従業者数は、昭和五六年(一九八一)から平成三年(一九九一)の一〇年間で一五万人強増加した。これに対し、平成三年から同一三年にかけては、従業者数はほとんど変化せず、八〇万人程度であった。しかし、平成一三年から従業者数が上昇し、同二一年には一〇〇万人を超えるようになり、平成二〇年代を通じて一〇〇万人近い従業者数を維持している(図10-6-1-1)。業種別にみると、サービス業が際立った成長を見せた。一方、製造業などの第二次産業は低迷した。また、この間の業種別の事業所数の推移をみると、サービス業のほか、金融保険業、不動産業などの第三次産業が大きな伸びを示した。平成三年の事業所数約四万のうち、約九割が第三次産業であった。それ以外の業種は減少した。九〇年代の、港区の事業所構成において、サービス業の割合が高く、卸売業・小売業が続いた。

図10-6-1-1 港区の民営事業所数・従業者数の推移

総務省「事業所・企業統計調査」、同「平成21、26年経済センサス(基礎調査)」、同「平成24、28年経済センサス(活動調査)」から作成


二〇〇〇年代になると、港区には、古川沿いを中心とした古くからの中小企業群が産業活力の担い手として存在する一方、都心部ならではの大規模再開発による業務立地により新たな経済活力が生まれた。また、歴史ある大学やマスコミ機関の立地、一〇〇万人を超える昼間人口、二四時間活動の都市として、港区は職・遊・学が共存した魅力的な街になった。さらに、人・モノ・金融・企業・情報等が活発に交流し、新たなサービスの創造や既存企業の業態転換、創業や新規参入など日々活発な産業活動が展開された。そうした一方で、都心特有の特徴として、固定資産税・相続税・オフィス賃料等の高コスト化が問題であった。
二〇〇〇年代の事業所構成は、平成一八年の時点では、サービス業(他に分類されないもの)(30・5%)の占める割合が最も高く、卸売・小売業(20・7%)、飲食店・宿泊業(17・8%)、情報通信業(7・9%)と続いた(図10-6-1-2)。就業者構成は平成一七年段階では、サービス業(他に分類されないもの)(24・7%)が最も高く、情報通信業(17・8%)、卸売・小売業(15・5%)、製造業(11・5%)と続いた。

図10-6-1-2 港区産業大分類別事業所構成比(平成18年)

総務省「事業所・企業統計調査」から作成。1%未満の産業は「その他」にまとめた


事業所数・従業者数については、平成二一年から同二四年にかけて減少がみられた。東京都の平均よりも港区の事業所数の減少率は大きかった。産業分類別にみると、平成二四年の段階では、港区の事業所数はすべての産業分類で減少した。これに対し、従業者数ベースでは、多くの産業で減少傾向がみられるが、不動産業・物品賃貸業、医療・福祉、電気・ガス・熱供給・水道業、卸売業・小売業等では増加した。
その後、平成二六年には漁業、建設業、複合サービス業以外のすべての産業分類で事業所数は増加した。従業者数では、製造業、漁業、不動産業・物品賃貸業、電気・ガス・熱供給・水道業、宿泊業・飲料サービス業、建設業で減少がみられたが、他の産業分類では増加した。顕著な変化としては、製造業では従業者数が約30%減少し、鉄鋼・採石業・砂利採取業では、九事業所から四二事業所へという大幅な増加がみられた。
また、二〇〇〇年代に港区に多数集積していた産業は、事業所数ベースでみると卸売業・小売業、宿泊業・飲食サービス業、学術研究・専門・技術サービス業であり、従業者数ベースでみると、卸売業・小売業、情報通信業、サービス業であった。