〔第二項 障害者への就労支援〕

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国際連合総会で昭和五六年(一九八一)を「国際障害者年」とすることが決議され「障害者の完全参加と平等」をテーマに、各国政府の行うべき措置が示されたことを契機に、日本においても、国と地方で取組が進んだ。港区においても、障害者施策の総合化・計画化を図るため、昭和五八年に「港区障害者総合計画」が策定される。このなかで、障害者の「社会的自立の促進」と関わる「就労の促進」について、区における身体障害者採用において、「身体障害者雇用促進法」(昭和六二年から「障害者雇用促進法」)に基づき、その法定雇用率を達成したうえでさらに3%に引き上げることや、民間での就労対策として、公共職業安定所との連絡を密にして十分に働きかけを行うことなどを決めて取組が進められた。
平成四年(一九九二)には、「港区障害者総合計画〈第二次〉」が策定される。そこでは、区における身体障害者雇用の促進について、特別区の雇用目標3%の達成に向けて積極的に雇用の促進に努めること、区立施設等において、売店経営、窓口案内・受付、清掃業務の委託などによって、障害者の就労の場を提供すること、また公共職業安定所等への働きかけを引き続き行っていくこと、現に就労もしくは授産施設等に通所する障害者に対して、生活寮を設置し日常生活に必要な指導を行い社会自立を助長することなどが定められた。
またこの計画において、障害者福祉事業団の設立および運営の援助が打ち出され、平成一〇年になって、区内に居住する障害者に対し、就業の援助と機会を提供することにより、自立と社会参加の促進を図ることを目的として、港区障害者福祉事業団が設立された。公的施設の清掃や、軽喫茶および売店の運営を港区から受託するなどして事業が始められた。平成一四年度からは就労支援事業を開始し、港区の障害者就労支援事業において重要な役割を担うこととなった(図11-2-2-1)。

図11-2-2-1 港区における障害者就労支援事業のイメージ

「港区地域保健福祉計画」(2003)掲載図をもとに作成


平成一七年に「障害者自立支援法」が制定されるが(翌年に施行)、そこでは就労支援施策の充実強化を柱の一つとして、新たに「就労移行支援事業」「就労継続支援事業」等が創設された。この法律に基づき、平成一八年度から二〇年度の「港区障害福祉計画(第一期)」が策定された。就労支援については、平成一七年度の一般就労への移行実績(九人)の三倍を同二三年度に達成する目標が定められた。就労希望の障害者個々人に応じた支援計画の作成、サービスの提供、また就労支援ネットワーク体制の構築、そして就労した障害者への就労継続支援のため、とくにジョブコーチの確保と資質の向上を図ることとした。こうしたなかで、任意団体として一定の限界があった港区障害者福祉事業団の全事業を継承して、平成一九年八月に特定非営利活動(NPO)法人みなと障がい者福祉事業団が設立され、障害者自立支援法(同二五年から「障害者総合支援法」)に基づく事業などを推進していくことになった。
その後「港区障害福祉計画」は第六期(令和三年度〈二〇二一年度〉から同五年度の計画)まで策定され、取組が行われてきた。最近の就労支援事業による一般就労者数の推移をみると図11-2-2-2のようになっており、一五人前後から三〇人弱となっている。

図11-2-2-2 就労支援事業による一般就労者数の推移

「第6期港区障害福祉計画・第2期港区障害児福祉計画(令和3年度~令和5年度)」 掲載図をもとに作成


なお平成一四年から、自立支援、就労提供、就労援助を行う場として、港区は福祉売店、福祉喫茶などを整備してきている。例えば区庁舎ロビーにある「はなみずき」(平成一四年)、大門駅コンコースの「Subway's Bakery TROIS(トロア)」(同二〇年)、高輪コミュニティプラザの「ろぜはーと」(同二二年)などである。