昭和一二年(一九三七)の「保健所法」で保健所と称される行政機関の設置が求められるようになる。戦前期には、小児保健所や健康相談所、あるいは警察などが健康のための第一線の行政機関としての役割を担ってきたが、戦後、こうした分立状態の解消を目指して保健所改革が進み、昭和二二年、保健所法の改正が実現し、保健所はそれまで各機関に分立した権限を集約することで設置が進められることになった。
昭和二〇年のポツダム宣言の受諾決定以降、日本は連合国最高司令官総司令部(GHQ)の間接統治下に置かれる。このとき中心となった米国の方針が日本の衛生行政の再編に影響力を持つようになった。GHQは参謀部と幕僚部により構成され、幕僚部の一翼を担う機構を構成したのが公衆衛生福祉局(PHW)であった。同局は昭和二〇年一〇月二日、GHQの発足と同時に設置され、翌年の六月には総務、歯科、獣医、予防医学、看護、福祉、社会保障、病院管理、供給、人口動態統計などの課が置かれた。
PHWを昭和二六年まで局長として率いたのがクロフォード・サムス(Crawford F. Sams)であり、日本の防疫、保健、福祉、衛生行政などの改革を進めた。その結果、日本の保健所の見直しが始められ、それまで分散していた健康を増進するための権限の集約が図られる。サムスの改革以前の日本の保健所は健康相談や母子保健への関わりはあったものの、医療機関への立ち入りや防疫、飲食店の営業取締などの事務に関しては警察が所管していた。戦前の感染症対策への警察の関わりが強調されることがあるのはこのためであるが、サムスは人々の健康を実現するための権限を保健所に集約することを目指したのである。
PHWの保健所改革の方針が示される一方、日本の保健所関係者も保健所改革への意気込みを示す。例えば東京都保健所長会議は昭和二一年一〇月一六日、「東京都保健所長会議決議」を出し、保健所の権限強化の必要性を訴えた。
・  保健所ヲシテ公衆衛生指導監督ノ強力ナル権限ヲ保有セシメ真ニ医学学理ニ立脚シテ外力ニ狂ケラルル事ナク責任ヲ遂行シ易カラシムル事
・  保健所カ区単位ノ地域担当ニアル限リ直ニ次ノ如キ組織官制ノ成立ヲ期ス区役所ニ於ケル全衛生事務及ビ警察署ニ属スル全衛生監督権行政権ヲ総テ保健所長ノ隷下ニ移管シ現在ノ技術的指導ト共ニ保健所ヲシテ衛生全技術ト行政トノ綜合的中枢タラシム
同会では保健所の「公衆衛生指導監督」のための権限を強化するべく、警察などに分散していた健康増進を実現するための「全衛生監督行政権」を保健所に集約し、これを「綜合的中枢」とすることを目指したのである。
保健所は健康のための第一線の行政機関としての期待を背負った。そして当時の日本の地方公共団体の規模等を勘案しながら、「保健所法」の中で指定都市制度が活用されるも都道府県に設置する方向で調整が進められる。すなわち昭和二二年の保健所法では、保健所の設置は都道府県または政令で定める市が設置することとし、翌年の「保健所法施行令」において、札幌市・小樽市・函館市・仙台市・横浜市・川崎市・横須賀市・新潟市・金沢市・岐阜市・静岡市・名古屋市・京都市・大阪市・堺市・神戸市・尼崎市・姫路市・和歌山市・広島市・呉市・下関市・福岡市・小倉市・八幡市・大牟田市・長崎市・佐世保市・熊本市・鹿児島市では保健所の設置が予定されたのである。一方、昭和二三年三月には全国のモデルとするべく東京都第四保健所(その後、杉並西保健所)を「モデル保健所」として設置し、GHQによる講習会等を通じて職員の養成が図られ、全国の保健所網の形成へとつながっていった。
全国の保健所網の整備が進む一方、東京都では昭和二二年三月、従前の三五区が二二区に統合され、芝、麻布、赤坂の各区から構成されていた港区域は港区として再編される。そこでそれまでの芝保健所は港保健所にその名称が改められ、同年九月法律第一〇一号保健所法が公布されると、翌二三年、東京都芝保健所として発足した。旧麻布区域を所管した東京都立麻布保健所は、昭和二三年一月、失火により庁舎を焼失したことで、港区役所麻布支所の三階を借用し、業務を開始したが、同年の新保健所法の施行に伴い業務が拡大すると、さらに一階も借用して新たに発足した。その後、業務量の拡大、借用庁舎の不便さなどのため、新庁舎の建設が決定され、昭和二五年には港区宮村町(現在の六本木六丁目)の都有地に、地元有志の協力を得て建設に着工、翌年、新築落成し活動開始の準備を整えた。旧芝、麻布区では昭和二〇年以前から保健所が設置されていた一方、旧赤坂区では、同二一年、都立赤坂病院内に都立赤坂保健所が設置され、翌年三月の活動の開始をみる。その後、昭和二二年八月、港区役所赤坂支所三階に移転し、同二六年には赤坂青山南町一丁目(現在の南青山一丁目)に移転し、業務に就いた。ここに旧芝区、麻布区、赤坂区の保健所は港区を所管する保健所として活動を開始するのであった。
保健所には医師、保健師、エックス線技師、各種監視員などが常勤し、それぞれ専門的知識を生かして活動することとなった。所管事項は衛生思想の普及・向上、人口動態統計、栄養改善、飲食物の衛生、住宅・上下水道・清掃その他の環境衛生、保健師事業、公共医療事業の向上増進、母性・乳幼児の衛生、歯科衛生、衛生上の試験検査、結核・性病・伝染病・その他の疾病の予防、公衆衛生の向上増進のための指導、監視などであった。保健所では健康相談、集団検診などを活用することで結核、性病など感染症の予防、療養指導の効果を上げることが予定される一方、所管地域の健康状態などを把握するべく公衆衛生の推進が力説された。