社会福祉の定礎期に高齢者の福祉施策や事業はさほど展開されていない。困窮した高齢者は生活援護の枠組みの中で対応が図られていた。
明治三六年に創設された東京養老院が昭和二〇年に滝野川で空襲に遭い、終戦直後の一時期、増上寺に仮住まいをしていた。その後、一一月に神奈川県藤沢市へ移転した経過がある。増上寺をはじめ社寺等には要援護者が陥っている困難を制度外の対応として支える役割を担う面があった。
昭和二八年「としよりの日」を記念して区長から七七歳以上の高齢者に記念品を贈呈する事業が実施された。昭和三〇年には、「としよりの日」に芝・麻布・赤坂の各公会堂で区の慰労大会を実施した。以降、これらは継続して実施されていく。
高齢者に対する個別サービスとして最も早い時期のものは、昭和二八年に開始された高齢者はり・マッサージサービス事業である。
「老人福祉法」はまだ登場していない時期であるがゆえに、生活援護領域での対応が主軸となることと合せて、既存の民間組織が自主的・自律的に可能な範囲で支えるということを行っていた。後者は港区における福祉の土壌の一端につながると考えることができる。また、被占領下から脱却した翌年に、港区が七七歳以上の高齢者を対象とした事業や高齢者はり・マッサージサービスを実施したことに、戦後復興の次のステップをみることもできよう。