昭和二二年五月、芝保険出張所は芝社会保険出張所となった。国の国民皆保険制度ができるにはまだ至っていないが、その後の制度の立ち上げと運営の基盤の一つがここにできていたとみなすことができる。昭和三四年一二月「港区国民健康保険条例」公布により、国民健康保険事務が港区でもとられるようになった。
資金不足のため開店休業状態にあった公益質屋の再生を東京都の直営へ転換することにより図る施策がとられ、港区においても白金公益質屋が都営に移管されたのは昭和二五年一月のことである。民営質屋の復興が遅れ、金融難から闇金利が横行する状況があったことから需要は高く、区内の公益質屋は朝六時から客が列をなすほど盛況の状況に至った。同年三月に赤坂公益質屋が開設し、五月には天皇・皇后両陛下が白金公益質屋をモデルケースとして視察するほどの評価を得ることとなった。その後、昭和二七年四月に白金公益質屋と赤坂公益質屋は都営から区営へ再び移管された。
その他、昭和一〇年に設立した芝社会事業協会が、同二七年に社会福祉法人の認可を受けた。麻布社会事業協会、赤坂社会事業協会もあった。 (西田恵子)