第Ⅱ期においては年金制度を補完する制度が登場する。昭和三六年の「児童扶養手当法」、同四一年の「特別児童扶養手当法」がそうである。児童扶養手当は、年金制度の中で支給の対象となる死別母子に対する遺族年金制度を、生活状況において同様の困難をもつ生別母子(後にはひとり親母子)にも適用しようとする制度であり、特別児童扶養手当は、心身に障害をもつ児童に必要とされる特別の医療や生活困難に伴う費用の負担を軽減し、健常児の養育との不均衡を是正しようとする制度である。いずれの制度も、年金制度や公的扶助とは区別され社会手当という範疇を構成し、その範囲を拡大することになった。しかし、やがては社会手当という範疇に含まれることになる昭和四六年の児童手当制度の成立は、社会手当さらには社会保障という範疇を超える制度の成立を意味するものとして位置付けられた。
すなわち、児童手当制度は、ヨーロッパのそれと比較して、わが国の社会保障制度の中で唯一欠落していた制度の成立を意味するものであり、この制度の成立をもってわが国も福祉国家の構築という戦後以来の念願を達成したと評価された。