(A)基本的な動向

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港区は昭和三五年(一九六〇)に二五万五六六五人だった人口が同五四年には一九万九九八九人となり、それまで増加傾向にあった人口がこの期に減少傾向へ転じることになった。出生率の低下と医療・保健衛生の発達に伴い老齢人口の増加傾向が続き、昭和三六年に4・5%であった老齢人口が同五二年には9・0%に増加した。定礎期には非常に少なかった高齢者を対象とした施策が拡大することとなった背景である。
昭和五〇年、港区で初めての基本構想が策定された。「すべての区民が住みよい環境の中で人間らしく生活できるように、『人間性の尊重』と『地方自治の確立』を理念とする」と打ち出したこの構想は、五つの基本的施策の柱を設定した。その二番目の柱が「住民福祉の向上」であり、老人福祉の拡充、児童福祉の拡充、心身障害者(児)福祉の拡充、婦人福祉の拡充、低所得者福祉の拡充を内容とした。「住民が物心両面において充実した都市生活をいとなめるように、人間性の回復と住民福祉の向上をめざすこと」が課題であるとの認識の下、「社会的な援助を必要としている人びとに対して、様々な状況の変化にも対応できるように生活力の充実をはかり、更に住民福祉の向上を期する必要がある」との考えを示している。港区の社会福祉は積極的な展開を志し、踏み出していたといえよう。この時期の港区は戦後構築されてきた社会福祉を区民の福祉のために拡大する方針を明確に打ち出し、臨んだといえる。