基本構想において「障害者(児)の福祉の充実をはかる」として「誰もがともに生きるノーマライゼーションの観点から心身障害者(児)福祉をとらえる」という考えのもと、「障害者(児)のための施設を整備し、機能訓練、デイケアサービスおよび障害者(児)をもつ家族を含む相談機能の充実をはかる」とともに、「障害者(児)の自立に向けて社会参加の機会と場の拡充をはかる」ことが目指された。
この社会福祉の改革期に国際障害者年(昭和五六年)があった。日本においても全国各地で障害者の自立生活に関わる様々な問題提起を行うイベントが開催され、東京においても同様だった。港区においては、知的障害者通所更生施設、障害者世帯民間住宅あっせん事業、障害者向け集合住宅の整備、精神障害者小規模通所授産事業、区立生活寮の開設など、地域でともに暮らすための施策の充実が図られた。
例えば、聴覚障害者用「手書き電話」が開始されたのは昭和五六年のことである。昭和五八年には「障害者基本法」に基づき港区障害者総合計画が策定された。
障害者の拠点の確保としては、平成三年に区立心身障害者福祉センターが開館した。同センターはその後、平成一〇年四月に開設された「港区立障害保健福祉センター(ヒューマンぷらざ)」として、区内の障害者に障害の種類や程度、年齢に応じた各種相談、通所指導、訓練などを実施するとともに、社会参加の機会や交流の場を提供し、障害者の自主的活動を支援する拠点となった。港区障害者福祉事業団(平成一九年八月からNPO法人みなと障がい者福祉事業団)が設立されたのも同年で、ヒューマンぷらざ内に事務所を置き、障害者の就業機会の拡大を通じて障害者の自立と社会参加を促進するための活動に取り組んでいる。区は同事業団の支援も行い、協働している。
障害者の自立生活を実現するための施設として生活寮フレンドホーム高浜が開設されたのは平成六年であった。