基本構想で「在宅福祉を基調とする地域福祉の充実をはかる」として「家庭、地域、施設およびその関連機関との役割分担を確立するなかで、在宅ケアサービスの拠点施設の設置をはかる」「児童から高齢者にいたる幅広い区民参加による、ボランティア活動の強化のための啓発、研修、情報提供をはじめとするサービス供給体制の整備や人材開発につとめる」「民間の活用を含めて、利用者にあわせた多様なサービス供給につとめる」「住宅や就労などの問題の発生に対しては、生活の自立に向けた訓練や、援助を行なうとともに、相談機能を高めていく」ことが目指された。
港社協は昭和六三年から二か年にわたって全国で指定数の限られている国のボランティアのまちづくり推進事業(通称ボラントピア事業)の指定先に選ばれ、補助を受けた。同年、港社協はボランティアセンターを開設し、二億円のボランティア基金の設置も行った。ボランティア活動の振興に向けた基盤整備と積極的な支援策を展開してきたということだけでなく、東京都内はもちろんのこと全国においても港区のボランティアと地域福祉、そして社会福祉協議会が高い評価を得ていたことの証左といえよう。
港社協は在宅福祉の進展を図ることと日常生活圏域での支え合いと気づきを進めることを目的として、平成七年に配食サービスを開始した。全国社会福祉協議会が全国の区市町村社協に社会福祉協議会が在宅福祉サービスの運営主体になるという事業型社協を促す趨勢にあり、この事業が港区でも社協が在宅福祉サービスを直接実施するようになったという点で、大きな意味をもつものであった。それとともに、それまで取り組んできた地域の組織化という専門性と、福祉ニーズを充足する社会資源の創出という福祉組織化という専門性との二つの側面を併せ持つ取組ということで、港社協は新たなステージに進んだと捉えられる。
平成八年、港社協は国から五か年にわたって、新たな国庫補助事業であるふれあいのまちづくり事業の指定を受けた。区民の福祉を支えるために必要な専門相談の拡充、区内の社会福祉事業関係者とのネットワーク形成、日常生活圏域での福祉活動の推進など、地域福祉の高度化に向け一層、総合的な事業展開を行うこととなった。他主体との協働が欠かせないこの事業を通じて、港社協はさらにコミュニティワークやコミュニティソーシャルワークの専門技術に内実を備える実践課題を捉える専門組織となっていったのである。平成九年には住民相互の助け合いによる会員制の有償サービス(おむすびサービス)を開始した。
港区の地域福祉の計画を地域福祉活動計画として策定し始めたのもこの時期である。平成八年、港社協は地域福祉活動計画「手をつなぐみなとプラン21~学び合い・支え合い・交流し合うまちづくり」を策定した。第一次計画の策定委員会委員長は区内に所在する明治学院大学の理事(当時)であり、日本社会福祉学会会長の経験者でもある阿部志郎が就いた。福祉の思想に裏付けられ、地域福祉の以後の展望を踏まえた同計画は、他の区市町村および都道府県等で参考に用いられる内容が多々含まれるものであった。
市民生活の安全に大規模災害が大きな問題となることをあらためて認識するようになった大きなきっかけは、平成七年一月一七日に発生した阪神・淡路大震災である。被災地となった阪神・淡路地方には全国の様々な立場の人々が救援活動に赴いた。港区からも職員派遣が行われた。救援派遣は支援が第一の目的であったが、その経験は、都市部で発生した大規模災害でのボランティア・コーディネートの必要、災害ボランティアセンターの設置の必要、災害時対応が円滑に図れるまちづくりの必要等を学ぶことになった。これらは港区における地域福祉の課題の一つとして引き継がれていくこととなる。
福祉改革から社会福祉基礎構造改革へ進み、戦後構築してきた日本の社会福祉に顕在化してきた問題への対応が厳しく求められる状勢にあって、当事者、要援護者、福祉サービス利用者の権利を擁護することを目的として港社協は「社会福祉法」に先立ち、平成一三年に地域福祉権利擁護事業を開始した。