公助から自助・共助へ

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平成一二年以降を転換期としたのは、一九八〇、九〇年代の改革期を通じて再編成されてきたわが国の社会福祉が平成一二年を境に新たなステージを迎えたことによる。
平成一二年の初頭、自助、共助、公助という用語を導入して社会福祉の実施主体の比重を従来の国や自治体から国民や地域住民による自助や共助に移行させようとする政策構想が浮上してきた。一般的には、自助は生活に関する諸問題を国民(住民)が自分自身の責任において解決し、生活の維持を図ることを意味している。共助は、国民が家族や親族、友人や知人、隣近所など国民相互の助け合い、民間支援組織やボランティア活動による支援活動によって生活の維持に努めることを意味している。公助とは、国や自治体がその施策として生活の扶助や支援を行い、国民の生活を保障することを意味している。
社会福祉の歴史を顧みると、人々は共助として始まった助け合いや相互支援の活動を組織化し、社会化して自治体の、そして最終的に国によるシステムにボトムアップし、施策化するかということに努力し、奮闘してきた。福祉国家はそのような活動、努力の頂点、到達点を意味していた。その段階においては、まず公助があり、それを共助や自助努力で補うと捉えられてきた。しかし、この序列は、今日においては、再び社会福祉生成期の自助、共助、公助の順に並べ替えられ、菅内閣成立時の施政方針においては、その基底、核心には、人々を結びつける「絆」が位置付けられることになった。