平成一二年(二〇〇〇)に一五万五三九四人だった港区の人口は令和二年(二〇二〇)の二六万三七九人を経て、同三年は二五万九〇三六人であった(各年一月一日現在)。平成八年の最小人口から一〇万人近くの回復をみた。高齢化率は平成一二年の17・7%から令和三年は17・1%へ降下した。
平成一四年一二月、第三次基本構想が策定された。同構想は第二次基本構想の理念を継承しつつ、「人間性を尊重します」「自立した地方自治をめざします」「都心区としての責任を果たします」と3つの理念を示した。人口成長がとまり、経済の勢いもかつてのようにはなくなる成熟社会にあって、「少子高齢化という新しい人口構成が、今までとは異なった社会の運営を求める」として、「子どもを育む機会と場の創出、高齢者・障害者などの社会参加を実現するノーマライゼーションなど、多様な人びとがそれぞれ主体性をもって行動する相互互恵の発想が不可欠な社会」となると課題を捉え、施策の方向を描いた。福祉の施策は保健、教育とともに「はぐくむまち」として、「明日の港区を支える子どもたちを育む」「生涯を通じた心ゆたかで健康な都心居住を支援する」とした。
社会福祉の各領域をつなぎ、港区の福祉の展開を総合的に描く港区地域保健福祉計画が平成一一年から策定されるようになった。国が平成三〇年に社会福祉法の一部改正で地域福祉計画を高齢者、障害者、児童福祉の計画の上位計画と位置付けたことの先鞭といえる。
また、国の行った社会福祉基礎構造改革の一つである福祉サービスの市場化は港区でも一定の広がりを持つこととなった。