人々の自発的な学習活動を促すために、文部省が提唱し設置を奨励したのが公民館であった。昭和二一年七月に、文部次官名で「公民館設置運営について」が発せられ、「国民の教養を高めて、道徳的知識的並に政治的の水準を引上げ、または町村自治体に民主主義の実際的訓練を与えると共に科学思想を普及し平和産業を振興する基を築く」ために公民館を設置すべきであるとする方針が示されている。
港区内の社会教育施設は、昭和二六年までに麻布・氷川図書館、麻布・赤坂の運動場、芝公会堂が開設され、麻布・赤坂の公会堂着工が約された。ただし、学校教育費に比して社会教育関係予算は極めて厳しい状況であった。かかる状況のもとで、港区の社会教育事業は、民主主義の定着をねらったCIEが貸与するナトコ映写機による映画会の開催や、民主主義に関する文化講座の開催で、「新憲法と戦争放棄について」や「男女同権による家庭婦人の地位」といったテーマであった。さらに社会人として必要な知識や技術を習得するための成人学校が開講され、小中学校や図書館、福祉会館などで実施された。
一方、戦前の教化団体であった青少年団や隣組などは、解散を命じられたが、社会教育を主導する団体や活動が次々に生まれ、港区での社会教育活動に彩りを添えた。子ども会や青年会活動、母の会などの戦後の混乱期に、子どもの健全育成を願う区民の自発的な活動を行う団体が誕生した。
昭和二三年から同四八年に参加者減少などで中止されるまで続けられた「緑蔭子供会」など息の長い活動も見られた。なお、東京都の施設として昭和二三年に建設された芝児童館は、子どもたちに向けた区の事業の会場としても利用されていた。