「特殊学級」の設置

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【「特殊学級」の設置と施設整備】 教育基本法・学校教育法によって教育の機会均等が示されたことにより、盲学校・ろう学校・養護学校の「特殊教育諸学校」の設置が義務付けられた。また小学校、中学校および高等学校には「特殊学級」を置くことができるとして、学習上または生活上の困難を克服するための教育を行うこととされた。
港区では区議会において、「特別区の中で特殊学級を未設であるのは港区だけである」という指摘を議員から受け、昭和三一年に神明小学校に初めて設けられた。当初は小学部と中学部が同校に同居する形でスタートしたが、昭和三三年に分離され城南中学校にも設置された。昭和三六年度に氷川小学校・高松中学校に「特殊学級」が設置され、同四〇年には本村小学校にも設けられ、知的障害を持つ児童・生徒の教育の拡充に努めてきた。
昭和四〇年には小学校の「特殊学級」児童・生徒の通学のために、二台のマイクロバスが導入されている。この後、知的障害だけでなく、昭和四七年には言語障害のある児童の学級を桜田小学校に設置したのを端緒に、障害ごとの学級を整備するなど、施設や設備の充実も含めて取り組んできている。
昭和五八年には、運動障害の児童・生徒が通う学級を併置統合して港南小学校と港南中学校に設けたほか、同五九年には、氷川小学校に設置されていた情緒障害学級が、施設を充実する形で南海小学校に移設されている。
港区では昭和四一年に運動機能障害を持つ子どもたちに、学齢前の早期療養通園施設として二三区で初めての、のぞみの家を設置した(図14-2-1-4)。昭和四五年からは、知的障害児も受け入れており、同五〇年一一月には建物が増設されている。

図 14-2-1-4  のぞみの家(昭和44年)


【夏季施設の拡充】 港区では沼津養護学園や、箱根ニコニコ高原学園などの夏季施設整備を進めてきた。
このうち、箱根ニコニコ高原学園は、昭和三〇年代から小学校専用の施設として活用されてきたが、同四二年に木造建築を鉄筋コンクリート建築に改築したほか、同四六年には旧館が改築竣工、同五八年に隣接地を購入して拡充が進められた。
中学校生徒専用の施設は、昭和三六年から軽井沢で民家を借用する形で設けられていたが、同四一年長野県小諸市に区立小諸高原学園が設けられた(図14-2-1-5)。昭和五二年には運動場や農場などが整備され、同五六年からは小諸長期移動教室が実施された。
昭和五四年には、沼津養護学園は施設老朽化と周辺環境の変化から伊豆高原に移転し、伊豆健康学園として開園した。区立小学校に在籍する三年生以上の児童のうち、喘息や肥満などの病弱な児童が対象となった。

図 14-2-1-5 小諸高原学園(昭和42年)