港区教育行政組織の改革

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【教育委員会の改革】 昭和三一年の地教行法により、地方行政組織は大きく様変わりした。公選制であった教育委員会が、区長による任命制とされたほか、各教育委員会事務局に指導室が設置されることとなった。昭和三二年四月に置かれた指導室には、室長のほか指導主事が二人置かれ、指導主事は教育課程・学習指導・学校教育に関する専門的事項についての指導・助言を行うこととなった。
昭和三三年の学習指導要領の改訂によって、授業時数の確保と教職員の研修のバランスを図ることが求められ、教育委員会が中心となって調整し、研修活動の合理化を図るなどした。
その後、昭和五〇年三月のスポーツセンター開設に際し、前年社会教育課から社会体育課が独立したほか、同五四年度には学務課の学事係から保健・給食係が独立している。

図 14-2-1-6  昭和32年当時の港区教育行政機構

『新修港区史』(1979)から転載


【教育相談室の開設】 昭和三四年、区立愛宕中学校と城南中学校に教育相談室を開設した。子どもの進路選択、成績不振、性格や行動に関する相談などについて検査を行い、科学的知見に基づいて適切な教育指導を行おうとするものであった。昭和三五年九月、設備や備品を拡充して区立城南中学校と神明小学校に相談室を再設置した。昭和三七年には教育相談センターと名称を改め、同四一年には港区教育センターの教育相談部として機能が継承されている。
【教育センターの誕生】 港区では、学校教育における研究推進を図るために、教職員の研修や教育研究を実施、既設の教科書センター(昭和三二年鞆絵小学校に開設)や視聴覚教材センターの機能を集約、さらに児童生徒や保護者の悩みを受ける教育相談センターなど、施設を一つにまとめ、より一層の機能充実を図ったのである。
教育センターは地教行法に基づく施設であり、昭和四一年「東京都港区立教育センター条例」が施行され、芝西久保桜川町の旧西桜小学校校舎に開設された。昭和四七年には旧愛宕中学校校舎に仮移転し、同四九年一二月に三田四丁目に建設された。
センターの教育相談部門は、センターの相談員を中心に週三回の相談業務にあたったほか、各校における相談活動の交流・推進に努めた。昭和四八年度には、半期ごとに小中学校教員を四人ずつ選び教育相談の技術的実習を行ったほか、同五二年度にはこの長期研修生を九人に増員して実施した。昭和五六年度には教育相談室運営要綱を定め、教育相談協議会、夏季講座などを実施した。昭和五九年度には三〇回に及ぶカウンセリングセミナーを実施したほか、電話教育相談も実施された。
センターには、教育経営上の課題を研究協議する組織として、教育長を会長とし、区立の幼稚園長、小中学校長で構成される教育経営協議会が置かれている。設置当初は、昭和四三年に示された学習指導要領の改訂に基づき、教育目標の作成などをテーマとしたが、同四七・四八年度には、移動教室や課外クラブなどをテーマとして取り扱った。昭和五六年度以降、地域別の課題を研究協議したほか、講演会を主催するなどしている。
また研修もセンターの重要な機能の一つで、先に触れた教育相談カウンセリングセミナーの実施や、昭和四八年度から港区において積極的に導入が始まった、区立中学校におけるLL設備の導入に伴い、同五三年度に夏季講座が実施された。また昭和四六年度から導入が進められた反応分析装置(アナライザー)についても、同年夏季講座が実施されるなど、急速に進んだ学習の近代化に教職員が対応できるように研修事業が展開されていた。