戦後の社会教育は、昭和二四年(一九四九)の社会教育法を旗印として展開され、その進展に伴って同三四年に同法の一部改正が行われた。その要点は、①区市町村において社会教育主事が必置、②社会教育関係団体への補助金支出禁止規定削除、③公民館設置・運営の基準設定、④社会教育委員の職務追加である。この法改正の背景は、経済や余暇の面で余裕が出始めた国民に生涯学習への需要が高まり、社会教育振興の機運が高まったこともある。また公立図書館への施設、設備費への国庫補助が行われたこともあり、港区でも区立三田図書館・赤坂図書館が設置されている。
また、昭和二八年「青年学級振興法」が制定されたことで、都市部における青年人口増加に対応した青年学級の充実が図られていった。このほか、従来PTAが学校教育費の一部負担を行うことが慣例となっていたが、昭和三五年にこれを法的に規制しPTAからの寄附金が軽減されるようになっていった。
昭和四〇年代に国民生活が豊かになるにつれ、学校教育だけでなく社会教育を含めた生涯教育への関心が高まっていった。昭和四〇年ユネスコの成人教育推進国際委員会でポール・ラングランが示したワーキングペーパーで、生涯教育の概念が示されたこと、またOECDから同四五年にリカレント教育の概念が示されたことは、わが国の社会教育に大きな影響を与えた。昭和四六年の社会教育審議会は、「急激な社会構造の変化に対処する社会教育のあり方について」を示したほか、同年中央教育審議会が示した答申は、「生涯教育の観点から全教育体系を総合的に整備」するとして、社会教育・学校教育・家庭教育のあり方を見直す契機となった。