港区は、アジア・太平洋戦争時に戦災で焼失した学校の建設や、体育館、プールの設置、学校給食の充実など、教育環境の整備に注力してきた。一九八〇年代半ば以降、在籍児童生徒数が減少する中でも、ハード面・ソフト面での整備を引き続き行っている。
また、他の自治体の支援を行うこともあった。昭和六一年に伊豆大島の三原山が噴火し、大島町の児童生徒が都内に避難した際に、区が当該児童生徒の編入学を受け入れた経験がある。大島町の児童生徒で都内に避難した約一〇〇〇人のうち、三五〇人以上の児童生徒を、全島避難後わずか四日後に区立小中学校で受け入れた。
昭和六〇年から平成一七年にかけては、学校の統合に伴う整備もあり、多くの区立学校で改築が行われた。昭和六〇年三月に氷川小学校、氷川幼稚園、同六一年二月に麻布小学校、麻布幼稚園、同六二年一一月に港南中学校、同六三年三月に桜田小学校、平成二年一月に檜町小学校、三光小学校、同三年三月に本村小学校、同四年三月に高松中学校、同六年六月に御成門中学校、同九年八月に中之町幼稚園が改築された。また、平成六年三月に御成門小学校新築校舎が落成、平成八年一〇月に港陽小学校・中学校の落成式が行われた。平成一二年三月には港区初の教科教室型校舎として旧城南中学校跡地に六本木中学校の新築校舎が落成した。平成一四年八月には赤坂小学校の増築棟が完成、同一七年二月には高輪台小学校の校舎が竣工した。
この時期は校外施設の運営・整理も課題となった。令和三年(二〇二一)現在、教育委員会が運営する校外施設には箱根ニコニコ高原学園がある。同学園は、宿泊を伴った集団生活など、日常の学校生活では体験できない教育活動を行う施設として、小学校の移動教室・夏季学園のほか、区内の社会教育団体の活動にも利用できる。平成六年に全面改築を行い、平成一九年度からは区職員は所長のみ配置し、調理・清掃などは民間業者に委託した。平成二七年度からは指定管理者制度を導入した。
以前はこの他に小諸高原学園と伊豆健康学園も設置されていた。小諸高原学園は中学校の移動教室・夏季学園を行う校外学習施設であったが、老朽化が激しく平成一五年三月に廃止された。その後は、民間宿泊施設のほか、民泊といわれる農家へ少人数で宿泊し、農業体験をするなどの校外学習へと移行された。
伊豆健康学園は、区立小学校に在籍する三年生以上で、病弱・虚弱のため教育上、生活指導上特別な配慮を必要とする児童を対象とした全寮制の施設で、昭和五四年に開設した。当初六〇〜七〇人が入園していたが、一九九〇年代以降は入園希望者が減少したため、平成一三年三月に廃止に至った。