学齢人口の増加と学校教育の対応

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【区の人口動態の変化】 区の年少人口(〇〜一四歳)は、平成一二年(二〇〇〇)に一万五九五一人と、資料上で確認できる昭和四〇年(一九六五)以降で最も少なくなった後は増加傾向に転じ、令和二年(二〇二〇)一二月には三万 五九八五人と、約二〇年間で二倍を大きく超えた。特に二〇一〇年代以降、都心回帰が進む中で急激に人口が増加している。
図14-4-1-1は区立小学校・中学校、幼稚園の人数の推移(昭和六三年〜令和元年)を示している。区立小学校の児童数は令和元年度に九五二六人と、平成期以降で最も多くなっている。区立中学校の生徒数は私立中学校等への進学率が増加しており小学校ほどは増えていないが、令和元年度に二〇四三人と、二〇〇〇年代以降では初めて二〇〇〇人を超えた。区立幼稚園の園児数は令和元年度に一一三八人と、平成一三~一七年度の最減少期の二倍以上となった。

図14-4-1-1 港区立幼稚園・小学校・中学校在籍者数の推移(昭和63~令和元年度)

「港区の教育」令和元年度版から転載。小学校・中学校については、特別支援学級在学児童数および生徒数を含む


【新たな学校・園の設置】 区は、後に述べる幼・小中一貫教育を進めることで区立小・中学校の魅力を高めることを目指し、平成二二年四月に、小中一貫教育校「お台場学園港陽小学校・港陽中学校」を開設した。また平成二七年四月には、三光小学校、神応(しんのう)小学校、朝日中学校の三校を統合し、朝日中学校の敷地内に「白金の丘学園白金の丘小学校・白金の丘中学校」を設置した。
また、国は教育・保育を一体的に行う認定こども園制度を平成一八年度に創設した。保育需要の拡大や保護者のニーズが多様化している状況のもと、区は翌一九年四月に「港区立芝浦アイランドこども園」を開設し、当初から指定管理者制度を導入した。平成二八年度からは、国の子ども・子育て支援新制度の施行に伴い、保育所型認定こども園に移行した。
芝浦地区・海岸地区では特に児童数の増加が著しく、芝浦小学校は令和一七年に児童数が二〇〇〇人を超えると推計された。用地の確保が難しい中で検討が行われ、令和四年四月に、区の複合施設であるみなとパークの芝生広場に芝浜小学校(当初の仮称は芝浦第二小学校)が開校した。
令和四年度現在は、区立幼稚園一二園、区立小学校一九校、区立中学校一〇校が設置されている。
【区内の諸学校の動向】 平成一七年以降、区立学校を除く区内の諸学校でも様々な変化があった。区内に所在する大学では、慶應義塾大学と共立薬科大学が平成二〇年に合併し、後者は慶應義塾大学薬学部・大学院薬学研究科となった。また、平成三〇年には国際医療福祉大学が赤坂キャンパスを開設し、大学院および一部の学部を開設・移転した。一方で、山脇学園短期大学(赤坂四丁目)が平成二〇年に学生募集を停止(同二三年に閉校)、同二二年に国際仏教学大学院大学が虎ノ門から文京区に移転した。
小・中・高等学校ではいくつかの学校で校名変更や改組などが行われた。東京工業大学附属工業高等学校は、平成一七年に東京工業大学附属科学技術高等学校に改組した。また、都立港特別支援学校(旧都立港養護学校)は、平成二六年に小・中学部の児童・生徒が都立青山特別支援学校へ学籍異動し、港特別支援学校は高等部普通科のみとなった。
私立学校では、一九九〇年代頃から一貫教育の強化が行われた例が多い。聖心女子学院は平成二六年から小中高一貫教育が行われている。高輪中学高等学校は平成二六年から完全中高一貫校となった。東海大学付属高輪台高等学校・中等部は、平成一九年に中等部を設置し、中高大一貫教育を行っている。また、広尾学園(広尾学園中学校・高等学校)は、平成一九年に順心女子学園から校名を変更し、同二一年に完全共学化した。