港区には神社、仏閣など歴史的価値のあるものが多く存在する。国や東京都指定の文化財のほか、区で指定する文化財、郷土資料、伝統工芸などの保護、調査、収集、区民への公開などを通じて、港区ならではの施策を展開し、文化財を区民の身近なものとするための普及啓発を実施している。
昭和三九年(一九六四)に文化財調査委員会を設置し、区内の埋もれた文化財の調査、資料収集を行い、その成果をまとめた『港区の文化財』を発行した。この『港区の文化財』は昭和四一年から同五三年まで毎年刊行された(全一四冊)。昭和四七年度からは区民への周知のため文化財標示板の設置を行っている。この他にも、文化財に関心をもつ人々に向けた『港区文化財のしおり』の発行、「港区の文化財スライド」の作成、文化財めぐりや文化財講座、遺跡見学会の実施など、区民が区内の文化財に触れ、学ぶ機会を提供してきた。昭和五〇年三月には区内の地理・行事の変遷をみる『近代沿革図集別冊Ⅰ 安永・昭和対照図』『港区歳時記』、平成五年(一九九三)には江戸時代の町の様子が描かれた『江戸町方書上』第一巻刊行など、区内の歴史・文化財に関わる文献資料の発行にも積極的に取り組んでいる。
港区の文化財行政のなかで、とりわけ大きな変化の一つは昭和五三年一〇月の「港区文化財保護条例」の制定であるといえる。同年一一月一日発行の「広報みなと」では文化財について以下のように説明している。

「文化財」という言葉は、超国宝級の法隆寺の壁画の消失をきっかけに、昭和二五年に制定された「文化財保護法」によって一般化されました。

文化財が国の歴史、文化等の正しい理解のため欠くことができないものであり、祖先から引継いだこれらの文化遺産を、私たちの生活に生かし、次代に引渡すことは、現代に生きる私たちの責務といわねばなりません。

このためにも、目の前で破損し、消滅していく文化財をだまってみすごすわけにはいきません。

そこで、港区では、文化財保護条例を制定し、一層保護行政に努めていくことになりました。
文化財保護条例の制定により、区内にある文化財のうち、国や都の指定を受けていないもので区にとって重要なものを区指定の文化財とすることができるようになった。区内の文化財についても前掲の「広報みなと」では以下のように記されている。

港区は、二三区の中でも、文化財がいろいろな時代にわたって豊富に残されているめぐまれたところです。

例をあげてみれば、私たちが生活している身近な土地の下に、縄文時代(約五千年前)の住居跡や、土器、その時代の人びとが食料としていたものなど、当時の生活の様子を知ることができる貝塚が埋蔵されていることや、徳川氏の菩提寺として栄えた増上寺のたくさんの文化財などがあります。

また、新橋の鉄道開通をはじめとして、明治維新など、歴史上の舞台となったゆかりの場所が、身近にたくさんあります。(後略)
同条例は昭和五四年四月に全面施行し、最初の区指定有形文化財として、明治学院記念館(白金台一丁目)の他、天現寺毘沙門天像、増上寺五百羅漢図、天真寺松平不昧・月潭書状、善福寺中世文書七点が指定された。なお指定文化財はその後増加し、令和三年(二〇二一)九月二六日時点で一四四件に増加している。
昭和五七年四月一九日には伊皿子貝塚遺跡出土品を中心に、特に昭和前半期以前に使われた生活用具や当時の写真、歴史的な資料など郷土の歴史や文化を示す様々な資料の収集・保存を目的に港区立港郷土資料館が開館した。同館は三田図書館(芝五丁目)四階に開設され、「港区の歴史」「残された文化財」「伊皿子貝塚を学ぼう」「伊皿子貝塚を調べよう」「港区の文化財」の五つのコーナーの他、テーマを決めた特別展を実施していた。昭和五七年一一月一日〜二〇日には第一回の特別展として「港区の外交史跡展 幕開く、近代外交」が開催され、以後多くの特別展が開催された。特に、平成一八年には特別展「UKIYOE―名所と版元―」および関連文化事業が東京文化財ウィーク二〇〇六で東京都教育委員会賞、平成二〇年には特別展「悠久の旅人Ⅲ―過去から、そして未来へ―」が同東京都知事賞を受賞した。また、平成一一年四月には「さわれる展示室」を開設し、ミンククジラの骨格標本や縄文式土器を直接触れたり、専門の職員から説明を受けたりする機会を提供した。
同館は平成三〇年一〇月三一日に閉館し、これを継承する形で同年一一月一日、港区立郷土歴史館が旧公衆衛生院(白金台四丁目)に開館した。同館の建物は昭和一三年に東京帝国大学工学部建築学科教授の内田祥三(よしかず)の設計によって建設され、隣接する東京大学医科学研究所と対になっており、展示物のみならず建物自体が一つの重要な文化財である。郷土歴史館等複合施設「ゆかしの杜」として郷土歴史館以外に区民協働スペースや子育て関連・がん在宅緩和ケア支援センターなどの機能も兼ね備えている。なお、郷土歴史館が入る旧公衆衛生院は令和元年に区の有形文化財に指定された。
また、昭和一一年に芝浦花柳界の見番(けんばん)(芸者の取り次ぎや遊興費の清算をする施設)として建設された港区指定有形文化財「旧協働会館」(芝浦一丁目)は都内に現存する唯一の木造見番建造物として知られている。同館は戦後港湾労働者の宿泊所としての使用や保存整備工事を経て、平成二一年に東京都から無償譲渡され、同年一〇月に区の文化財指定を受けた。平成二六年には保存・公開のうえ利活用することが決まり、令和二年からは様々な伝統文化や地域文化に関する事業を行う伝統文化交流館として開設されている。この他、旧乃木希典(のぎまれすけ)邸として知られる明治の洋風住宅・煉瓦造の馬小屋「旧乃木邸及び馬小屋」(赤坂八丁目)は大正二年(一九一三)に東京市が管理して以降、同四年から一般公開されてきたが、昭和二五年に港区に移管され、同六二年に文化財として指定され、現在でも毎年定期的な公開が行われている。このように、単なる文化財の保存・公開だけではなく、文化財を活用した施設であることが特徴的であるといえる。
港区はこの他、土中などに人目に触れにくい状態で埋蔵されている文化遺産である埋蔵文化財、土器・石器・陶磁器・瓦などからなる「遺物」と、住居跡・古墳・土杭などの「遺構」からなる「遺跡」も多く抱えている。代表的なものに伊皿子貝塚遺跡や高輪築堤跡などが挙げられるが、これらは貝塚や集落跡・屋敷跡・墓石などであり、貴重な歴史資料である。これらが開発や建設などにより失われないよう、文化財保護に関わる意識の醸成や仕組みの確立、人材の育成に努めている。