〔第二項 一九六四年大会の背景〕

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一九六四年大会は、現在も多くの人々に高度経済成長のシンボルのように記憶されている。東海道新幹線が開会式九日前の一〇月一日に開業したこと、および現在は東京のみならず埼玉・千葉・神奈川各県まで延伸し、総延長が約330㎞に及ぶ首都高速道路の建設開始が大会開催に必須とされたことなど、大会の開催に向けたインフラ整備が積極的に進められた。こうした目に見える都市空間の改造が、一九六四年大会を単なるスポーツのイベントに留まらないものにしていることは間違いないだろう。
さて、一九六〇年代の東京といえば、高度経済成長真っただ中であると同時に、その影の部分ともいえる「都市問題」に多く悩まされてもいた。例えば昭和四一年(一九六六)に東京都企画調整局が行った生活環境条件の調査結果によれば、表15-3-2-1のように「そこに住んでいるだけで生命が危険にさらされる可能性の高い地域」が約四分の一を占めている。第一種と第二種が下水道の完備具合によって区分けされていることからもわかるように、この当時の都下は衛生状態の悪いところが多く、木造賃貸アパートに代表される(その多くは風呂なし・トイレ共同)狭小の過密住居が多くを占めていた。そうしたエリアでは必然的に法定指定伝染病の発生率が高くなっており、同時に幼児の交通事故による死亡率も高かった(佐藤・西山 一九六九)。

表15-3-2-1 東京都区部の生活環境条件とその比率

佐藤武夫・西山夘三編『都市問題』(1969)から作成


衛生面での問題はもちろんだが、幼児の交通事故による死亡率という数値が出てくることからもわかるように、当時の東京都における喫緊の課題は急激に増加する自動車交通にどのように対応するか、ということであった。このことに関しては、昭和三一年に発行されたいわゆる「ワトキンス調査団」の報告書で、以下のように鋭く指摘されている。

日本の道路は信じがたい程に悪い。工業国にして、これ程完全にその道路網を無視してきた国は、日本の他にない。日本の一級国道―この国の最も重要な道路―の77%は舗装されていない。この道路網の半分以上は、かつて何らの改良も加えられた事がない。道路網の主要部を形成する、二級国道および都道府県道は90%ないし96%が未舗装である。これらの道路の75ないし80%が全く未改良である。しかし、道路網の状態はこれらの統計の意味するものよりももつ(ママ)と悪い。(中略)現行の道路整備五カ年計画は誠にささやかなものであつ(ママ)て道路網の甚だしい不備を是正するにははるかに足りない。
この報告書で触れられているように、当時の東京の道路は、路線自体の不足はもちろん、舗装も満足にされていなかった。晴れていれば自動車の往来のたびに土埃や砂埃が舞い上がり、ひとたび雨が降ればそこかしこに泥水だまりやぬかるみができる状態だった。区内道路の舗装率は、昭和三〇年代前半は20%に満たなかったが、オリンピックが迫るなかで急ピッチで舗装されていった。それでもようやく30%を超える程度であった(表15-3-2-2)。

表15-3-2-2 港区内の道路の舗装状況