都の計画におけるハード面のレガシーは表15-3-5-1の№1と№6である。№1については、競技施設の後利用や選手村施設の居住空間としての活用度や利便性などが問われることになる。
一方、区の計画では表15-3-5-2の№4がこれに当たる。ここで具体的に想定されているのは以下のとおりである。
東京二〇二〇大会では多くの来街者が港区を訪れることを想定し、歩道や自転車走行区間、公衆トイレの洋式化等の整備、7000㎡を超える遮熱性舗装の整備、新橋SL広場など三か所でのミストを活用したクールスポットの整備、泳げる海・お台場の実現に向けた取組など、安全・安心で快適に過ごせるまちづくりに向けた施策を推進してきました。
これに続いて、「今後も、道路交通環境等のユニバーサルデザイン化や分かりやすい表示看板等の設置、水質対策などを推進し、快適な都市環境の形成を進めていきます」と述べる。これらを一九六四年大会のレガシーと比較すると、その規模や目的が大きく異なることがわかるだろう。一九六四年大会のレガシーが都市空間の基礎となる部分を根本的に作り上げるものであったのに対して、二〇二〇年大会のレガシーで想定されているのは既に完成し成熟している都市空間にさらなる用途・目的・価値を付加するものとなっている。
次にソフト面のレガシーについて見てみよう。
前述したとおり、二〇二〇年大会のレガシーは主にソフト面に焦点が当てられている。縮小社会に突入している現在では、かつて盛んに行われたハード面の整備を中心とする都市インフラの開発はもはや時代遅れになりつつある。その意味で、現時点で都と区で構想された一連のレガシーは、ひとまずは妥当なものと判断できる。とはいえ、ソフト面のレガシーはハード面のものと比べて客観的なデータや数値の提示が難しい。その難しさについてまず都の計画から指摘すると、具体的には表15-3-6-1のようになる。
表15-3-6-1 東京都のレガシー計画(ソフト面)の今後の課題
No.は表15-3-5-1に対応する
このほか、表15-3-5-1№8の「世界の人々に感謝を伝える」ことは、実際にメディアを通じて国際社会に発信することはできたといえるかもしれない。
次に区の計画については、再び表15-3-5-2を参照しつつ、具体的に行われた主な取り組みを取り上げつつ検討してみよう。
№1の「障害者スポーツへの理解促進」については、主な取組として「MINATOシティハーフマラソンにおける障害者優先枠の設定」「オリンピック・パラリンピック教育の実施」などが行われた。MINATOシティハーフマラソンは、オリンピック・パラリンピック開催に向けた気運醸成の一環として平成三〇年(二〇一八)に港区初のマラソン大会としてスタートしたものである。約21㎞のハーフマラソン(参加者約五〇〇〇人)と約800mのファンラン(同約七〇〇人)の二つの競技が設定されている。このうち、ハーフマラソンには一〇〇人、ファンランには五〇人の障害者枠が設定されており、共生社会実現のための取組のひとつになっている。これらの取組はもちろん必要なことではあり、一定の成果を生んでいるといえるが、今後、「理解が進んだ」ことをどのように測定しうるのか、という点が課題になるだろう。
№2の「ボランティア意欲の向上」については、主な取組の結果として「MINATOシティハーフマラソンに一〇〇〇人以上のボランティアが参加」「オリンピック聖火リレーのボランティアに八四五人が申し込む」「パラリンピック聖火リレーに三七二人が申し込む」などの成果があった。この土台となっているのが、気運醸成の一環として行われた「ポート・スポーツ・サポーターズクラブ事業」である。定員七〇人、年五回程度でスポーツイベントのボランティア実践を通して、ボランティアリーダーとなれる人材の育成を目指して平成二七年から規模を拡大しつつ行われている。スポーツイベントのボランティアは、競技のスムーズな運営、突発的な怪我や病気の対処などの必要性から、その他の一般的なボランティアとは異なり、ある程度の事前知識や経験を求められることが多い。その意味で、オリンピック・パラリンピックのボランティアに多くの人が参加申し込みをしたということは、一定の成果があると評価することができるだろう。ただ、区民全体の人口からすればやはりまだ少数ともいえる。今後、その「裾野」をいかに広げていけるのか、また意識の向上をいかに測定するのか、という点が課題となっていくだろう。
№3の「国際交流の推進」については、主な取組として「ジンバブエ共和国のホストタウンとして登録」「パリ市と連携協定を締結」「お台場プラージュの実施」が挙げられる。このほかにも、平成三〇年にはイギリスオリンピック委員会と協定を結び、大会期間中にイギリス代表選手のトレーニングやケアができる場所としてお台場学園をスポーツ・サービスセンターとして提供することとなった。またこの協定に基づいて、イギリスの代表チームとの交流事業として平成三〇年にアーチェリー・ボート競技の選手団との交流、さらに令和元年(二〇一九)には体操競技の選手団によるスポーツ教室もお台場学園において実施された。これらの取組によって、特に行事に参加した小・中学生といった年代が海外に興味を持つきっかけとなることは間違いないだろう。ただ、これをいかに全世代的に広げていくのか、また「交流が進んだ」ことをいかに検証、測定するのかということはやはり課題として残っていく。
№5の「情報発信の多様化」については、主な取組として「東京二〇二〇大会デイカウントダウン装置(デジタルサイネージ)の活用」「SNSの活用(区内在住選手や交通規制等の情報発信)」が挙げられる。後者については、特に若年層における利用状況を見る限り、今後の社会において非常に重要なものとなることが想定される。また一口に「SNS」といっても、目的や内容によってどのようなデバイス・アプリを利用するのか、優先的に使用するのかということも問題となってくる。そうした点も含めて、「多様化」とその有効性をどのように評価、測定するのかということが重要になってくるだろう。
№6の「東京二〇二〇大会レガシー物品の活用」については、主な取組として「港区スポーツセンターにおける関連物品の展示」「銘板の設置」などが挙げられる。一九六四年大会の入場券や代表選手のユニフォーム、さらには競技の様子や東京の都市空間改変などを記録した画像・映像は、今に至るまで繰り返しメディア上にも登場している。この背景として、アジア地域で初のオリンピック開催であったこと、敗戦からわずか二〇年でオリンピック開催に至るまで復興・発展したことに対する「誇らしさ」の記憶もあるだろう。これに対して、オリンピックだけでなく様々な競技のワールドカップや世界選手権などがたびたび開催され、スポーツに対して成熟している現在においては、数多くあるスポーツのレガシーのひとつとしてオリンピック関連物品が、どうすれば活用できたと判定できるのかをしっかりと評価・測定していく必要があるだろう。
また、ソフト面のレガシーは多分に主観的な判断が混ざり合うところにあるため、人々の感情や記憶、理解や意識の向上等を測定するのが課題となっている。
国際オリンピック委員会(IOC)がレガシーという概念を用いるようになったのは二〇〇〇年代に入ってからである。二〇世紀後半のオリンピックは、テロ事件の発生(一九七二年のミュンヘン大会)や巨額の負債の抱え込み(一九七六年のモントリオール大会)、大会の肥大化(一九八四年のロサンゼルス大会以降)などにより、何度も「開催の危機」を迎えてきた。それに対してオリンピック開催の意義を高めるために、都市に残される「善(よ)きもの」を強調するようになり、また立候補都市にも緻密(ちみつ)なレガシー計画の策定を求めるようになった。東京のようにハード面が成熟している都市で開催する場合は、やはりソフト面のレガシーを想定することになるだろう。ここまで見たように、ソフト面のレガシーの評価は非常に難しい。今後、その評価方法を含めたレガシーの活用が問われていくことになるだろう。
障害者スポーツの普及、性的マイノリティ(LGBTなど)に対する認知の向上など、これまで以上に「共生社会」を目指していくことが求められており、そうした多様性への適切な対応が、より必要となっている。高齢化の進展によってユニバーサルデザインの重要性が高まっていることも、共生社会を目指すひとつの表れといえる。ただし港区は、社会全体の縮小化とは裏腹に平成七年を境に人口増加の傾向にある。高齢化率は漸増(ぜんぞう)しているものの、生産年齢人口も緩やかに増加し、社会全体の趨勢とは異なる歩みを見せている。つまり、現在の日本社会は「余力」がなくなりつつあるが、そのなかでも港区は余力を多分に残す稀有な存在といえる。はたして二〇二〇年大会の開催を契機に何を残せるのか。それらが二〇年、五〇年と経った時にどのように評価されるものとして残っているのか。
一九六四年大会が、残したものに基づいて長く語られてきたことを振り返れば、二〇二〇年大会が残したもの、そして残そうとしているものについて、現代の我々が正面から受け止め、引き継いでいかなければならないだろう。 (松林秀樹)