❖歴史の舞台を知る

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『港区史』自然編は、約3万年にわたって、人びとの活動の舞台となってきた港区の自然──地形・地質、気候・気象、生物──の歴史を知り、学ぶことを目的に編まれた。そこには、読み手自らが、自然の歴史を探求するためのテキストとして本書を活用する期待も込められており、こうした基本的な考えは各章に通底している。
 ところで、仕事、レクリエーション、通勤・通学、日常生活、きっかけはともかく、港区内を歩いてみると、西部を中心にアップダウンが思いのほか激しいことに気付く。広く平坦地が展開しているのは、港区の北東部と古川沿い、海浜部の埋立地くらいであるが、埋立地では橋を渡る際にビル数階分の昇り降りを余儀なくされることもある。試みに、本書を念頭に置き、白金台にあるゆかしの杜から高輪ゲートウェイ駅まで歩きながら、本書の特徴について考えてみよう。
 ゆかしの杜は、港区の南西に位置する白金台地のほぼ中央に位置する。白金台地は、最高位の標高が30mを少し超えており、東の高輪台地よりも高い。ゆかしの杜の南エントランスに向かう通路の目黒通り沿いに地下鉄白金台駅の地上出入り口があり、そこに標高30mの表示がある。
 ゆかしの杜から高輪ゲートウェイ駅に向かう場合、眼の前の目黒通りを渡り、角度のある桑原坂を下って明治学院大学脇の国道1号との交差点を目指すのが常道であろう。この交差点を渡り緩やかな坂を登り切ったところに高輪警察署と高輪消防署二本榎出張所がある。
 両施設が立地する高輪台地は、港区の最も東に位置する南北に延びる台地で、北は三田段丘に、南は御殿山の段丘に続き、最も高いところで標高は28m程である。
 二本榎出張所前の交差点を突っ切り、再び急な坂道を下ると第一京浜(国道15号)に到達する。この坂道は桂坂といい、現在のように直線に整備されたのは大正末から昭和初期のことで、それまでは2か所で大きく屈曲していた。第一京浜を渡った先が江戸時代までの汀線で、高輪ゲートウェイ駅は、浅海であったところにつくられた新駅である。陸側の入り口の標高は3.0mで、白金台地との高低差は30m前後になる。駅は海浜部の埋立地につくられているが、実は約2万年前、周辺が陸であったことを知る人は少ない。
 ちなみに、このルートをたどると、台地→斜面→台地→斜面→海岸低地→海浜部埋立地の地形の変化を観察することができる。谷底低地を通ることはないが、港区の地形を構成する主要な要素(台地・斜面・低地・埋立地)を実感できる。こうした地形形成の背景にある地質や気候変動の知識を得ながら、実地観察へ誘おうとしているところに本書の特徴がある。
 一方、今みてきたルートの始点であるゆかしの杜に接する東京大学医科学研究所には、5本のソメイヨシノの巨樹が立っている。春は見事な花を咲かせ、夏には広い木陰をつくり訪れる人びとを厳しい日差しから護っている。さらにたどっていくと、桑原坂の中途には緑陰豊かな八芳園があり、明治学院大学には手入れの行き届いた芝生が広がる。二本榎通り沿いには高輪一丁目緑地が整備され、また二本榎通りに沿って形成された寺町や桂坂に面した邸宅にも緑は多い。寺社や公園が多い港区は緑地に恵まれた区域なのである。平成28年度に行われた調査によれば、緑被率(樹木に覆われた土地、草地等の面積が占める割合)は約22%で、23区中4位であると報告されている。また港区は海に面し、現在では多くが暗渠となったものの、大小河川が流れ、水辺の空間も少なくない。
 このように、港区は多彩な自然に恵まれている。ただし、そのほとんどは、長い歴史の中で人びとによって手が加えられ、維持されてきた。管理を強め、自然環境を創造することもあった。人びとは、こうした自然の舞台の上で、暮らしを営み活動を続けてきたのである。