2)谷地形の分布

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 港区内の台地を区切る谷地形は、溜池の谷と古川(渋谷川)の谷、目黒川の谷の3系統である(図1-ⅱ-1)。特に溜池の谷と古川の谷は支谷が多く、台地の中に樹枝状の谷を複雑に入り込ませている。
 溜池の谷は、四ッ谷駅西方から赤坂御用地に入り、弁慶堀~赤坂見附~溜池交差点を経て虎の門に続く低地である。地形図では赤坂御用地の中央部に池が示されているが、ここが溜池の谷の谷底であり、上流側は迎賓館赤坂離宮の西側の新宿区須賀町・若葉付近で、鮫河橋(さめがはし)谷とよばれた。この谷は信濃町駅付近から東へ向かう谷や、赤坂御用地内の支谷を合わせ、弁慶堀の部分の谷や千代田区紀尾井町の清水谷(しみずだに)公園の谷を合わせ、赤坂見附交差点付近から南へ向かう。両側には支谷がいくつかあり、赤坂4丁目の山脇学園とTBS放送センターの間の浄土寺付近の谷(円通寺坂(えんつうじざか)の下、大刀洗(たちあらい)川の谷)、乃木坂から地下鉄赤坂駅へ向かう赤坂通沿いの谷(写真1-ⅱ-3)、そして六本木交差点から首都高速道路の谷町ジャンクションを通る六本木通り沿いの谷などが並ぶ。これらの支谷はおおよそ東~北東方向に向かって平行している。

写真1-ⅱ-3────赤坂通りの谷へおりる三分坂(さんぷんざか、赤坂7丁目)


 古川の上流側(渋谷区)は渋谷川とよばれるため、ここでは古川(渋谷川)の谷としてあらわす。古川(渋谷川)の谷の上流部は、新宿御苑の池付近からはじまる本流の谷と、上流部は河骨(こうほね)川ともよばれた宇田川(うだがわ)の谷とが渋谷駅付近で合流している。恵比寿駅付近で東へ向かい、天現寺(てんげんじ)橋から下流は古川の谷となる。古川の両側は幅500mくらいの谷底低地(こくていていち)である。古川の谷は古川橋付近で北へ向かい、一之橋付近で東へ向きを変え、赤羽橋付近で東京湾岸低地に出る(写真1-ⅱ-4)。

写真1-ⅱ-4────古川の流れと一之橋


 港区内の支谷としては、青山霊園の東西の谷を合わせて広尾方面へ向かう笄川の谷、六本木交差点付近から麻布台地と飯倉台地の間を麻布十番に下る日下窪(ひがくぼ)の谷などがある。
 笄川の谷は、青山霊園の東西両側の谷と、六本木交差点の北西(美術館通り)から続く谷が西麻布付近で合流し、天現寺橋付近で渋谷川(古川)の谷と合流する。
 日下窪の谷は、六本木交差点から下る芋洗坂のある北日下窪の谷と、六本木ヒルズの南側の谷が、南日下窪町付近で合流している。谷底には明治時代頃まで池が集中し、金魚の養殖をしていた(図1-ⅱ-2)。元麻布2丁目の「がま池」から北へ向かう谷も都立六本木高校の下で日下窪の谷に合流する。

図1-ⅱ-2────日下窪付近(明治10年代)(参謀本部陸軍部測量局五千分一東京図測量原図、67%縮小)


 古川の谷の南側では、白金台の自然教育園の池から北へ向かい、北里(きたさと)大学方面に向かう谷や、八芳園の池から清正公(せいしょうこう)前交差点をへて白金高輪駅付近で古川の谷に合流する玉名(たまな)川の谷がある(菅原 2010)。
 白金台地と高輪台地の南側は目黒川の谷であるが、港区は直接面していない。目黒川の谷からNTT関東病院のある谷が入り、白金台3丁目の南端に達している。
 溜池の谷や古川の谷沿いにはかつて多くの湧水(ゆうすい)がみられた。これは、武蔵野台地に降った雨が関東ローム層にしみこみ地下水となり、台地を刻む谷壁(こくへき)のところで地表に現れたものである。麻布善福寺の「柳の井戸」(写真1-ⅱ-5)や有栖川宮記念公園、自然教育園、泉岳寺などで湧水が確認されている。湧水を集めた池も数か所に残されている。

写真1-ⅱ-5────善福寺「柳の井戸」(元麻布1丁目)


 また、谷底には水が集まるため、湿地にみられる「泥炭層(でいたんそう)」という、未分解の植物遺体がスポンジのように水を含んだ層が堆積しており、局地的に軟弱地盤をつくっている。大正12年(1923)の関東地震では山の手の台地地域の被害は小さく下町の低地の被害が大きかったが、山の手で例外的に被害が大きかったのがこの泥炭層が分布する谷底であった(貝塚 1979)。