ⅲ 武蔵野台地の地形区分

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 港区の台地は武蔵野台地の一部である。武蔵野台地は地形学的には若干高さや構成物質の違いがあって、大きく三つのグループに分けられている。一つ目が下末吉(しもすえよし)面(S面)とよばれる一番高い台地面で、次が武蔵野面(M面)とよばれるそれより5mくらい低い台地面、そして武蔵野台地の西部に分布する、立川面(Tc面)とよばれる武蔵野面より一段低い平坦面である(図1-ⅲ-1)。平坦面とその境界の急な斜面からなるので「段丘地形」ともいう。

図1-ⅲ-1────東京周辺の地形面区分(貝塚 1992)


 下末吉は横浜市鶴見区の台地付近の地名だが、横浜付近の台地と同じ時期に形成された平坦面の代表として「下末吉面」の名称が全国的に使われている。武蔵野台地では港区の範囲に広がる「淀橋台」と、世田谷区の駒沢公園や目黒区の大岡山などのある荏原(えばら)台などが下末吉面にあたる。
 武蔵野面は武蔵野台地で一番広い部分を占めるためそう名付けられており、淀橋台の北側の豊島台や本郷台、南側の目黒台や久が原台などが該当する。立川面は武蔵野台地西部の立川市付近に広がり、武蔵野面より一段低い面となる(図1-ⅲ-2)。

図1-ⅲ-2────武蔵野台地の地形区分(貝塚 1992)


 港区周辺では、下末吉面に属する淀橋台の台地上の標高が30m以上に達するのに対し、武蔵野面の豊島台や目黒台などでは、台地上の標高が20~25m前後とやや低い。
 下末吉面と武蔵野面は、標高以外にも、それらに刻み込まれている谷の地形に違いがみられる。下末吉面(淀橋台)の谷は古川(上流は渋谷川)や赤坂溜池の谷などであり、周りの台地の標高が高いため谷が深く、また支流の谷の枝分かれが多い。上流の宇田川や新宿御苑の谷だけでなく、ほかにも青山墓地の両側の谷(笄川)など支流の谷がたくさんあり、その結果台地の凸凹がめだつ。また、上流の方は幅が狭く浅い谷で、下流は幅が広く深い谷になる。下流部では台地の上と谷底の標高差が20~30mと大きくなり、かなりの起伏がある。
 これに対し、武蔵野面を流れる石神井(しゃくじい)川、神田川や目黒川の谷の中・上流部は支流の谷が少なく、本流の谷が長く続く。谷の深さは8~10mくらいで一定し、両側は急斜面となり、雨水を流す雨樋(あまどい)のような形で細長く続いている。これらの谷底はかつて水田として利用されていた。
 このように地形の条件で二つの台地には違いがあり、平坦面の広がりや湧水の分布なども異なる。これは遺跡の分布などの生活の舞台を考える上でも重要であろう。
 台地の地質は第2節(地下構造と地質)で説明されるが、淀橋台や荏原台などの下末吉面と、豊島台や目黒台などの武蔵野面では、台地の構造が異なっている。
 写真1-ⅲ-1、1-ⅲ-2は、港区六本木の東京ミッドタウンの工事の際のものである。ここは防衛庁の跡地で、淀橋台(下末吉面)にあたる。掘削された断面上部の茶色い色の部分は厚さ10mほどの関東ローム層である。「ローム」は土壌学の用語で、ざらざらの砂と粒の細かい粘土の混じり合った土を指す。武蔵野台地の「関東ローム層」は、鉱物組成などの面から富士山や箱根などの火山灰が主な起源とされる。写真1-ⅲ-2では厚さ10m以上の関東ローム層の下に直径1cmほどの小さな礫(れき)を含む砂層が数mの厚さでみられる。この砂層は浅い海底や波打ちぎわの環境を示す堆積物で、淀橋台や荏原台に共通してみられる。

写真1-ⅲ-1────東京ミッドタウンの工事現場

写真1-ⅲ-2────東京ミッドタウンの敷地にみられた関東ローム層の下位の地層


 豊島台や目黒台などの武蔵野面では、関東ローム層がやや薄く8~10m以下で、その下位には直径数cm程度の礫からなる砂礫層(武蔵野礫層)がある。港区からはやや離れるが、世田谷区の等々力(とどろき)渓谷では、武蔵野面の断面がみえる場所がある。等々力不動滝付近では、最上部に厚さ7~8mの関東ローム層と、その下位の厚さ3~5m程度の砂礫層、さらに下位の泥岩層が観察できる(写真1-ⅲ-3)。関東ローム層の下の砂礫層は、多摩川中流部の河床にみられるような「玉砂利」であり、武蔵野面の標高が西から東へと次第に低くなる様子が扇状地の地形を示すことから、武蔵野礫層は扇状地を作った河川の運んできた礫層(河成層(かせいそう))と考えられる。

写真1-ⅲ-3────等々力不動(世田谷区)


 このように、下末吉面(淀橋台)と武蔵野面は、高さにして5mくらいの違いであるものの、その構造や成因が異なっている(貝塚 1979,貝塚ほか 2000)。
 港区内の「三田段丘」については、港区(1979)の記述で武蔵野面に属するであろうとされていたが、ローム層の下の段丘堆積物の詳細は不明であった。しかし、東京都土木技術支援・人材育成センターの柱状図をみると、オーストラリア大使館付近の地下10m付近に礫層が認められるため(図1-ⅲ-3)、やはり武蔵野面と考えられる。

図1-ⅲ-3────三田段丘の柱状図(三田2丁目、孔口標高:T.P.+17.00m)
(東京都土木技術支援・人材育成センター(図3-ⅲ-6、図3-ⅲ-7も同))


 赤坂2丁目の、TBS南側の谷と六本木通りの谷との間の台地は標高が17~20mと低く、港区(1979)で淀橋台よりも低い「段丘」とされているが、付近の柱状図では礫層が認められず、ローム層と思われる「粘土」と、その下に砂が続くことから、地下の構造は淀橋台と共通するようである。