1)低地の地形

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 愛宕山から芝公園にかけてと、三田段丘から高輪台地にかけての東京湾側の斜面の下は、標高およそ5m以下の平坦な低地となる。この低地は、主に東京湾岸の海岸低地と埋立地からなる。江戸時代の海岸線は、浜離宮恩賜庭園(中央区)、旧芝離宮恩賜庭園付近で、古川から南はほぼ東海道線の位置が海岸線であった。
 海岸低地の部分にもわずかな起伏が認められる。たとえば、霞ヶ関から愛宕下、芝公園にかけて、台地の麓に標高5m以上のやや高い土地が細長く続く。一方、日比谷通りの東側は標高3m前後と低い。JR新橋駅の東側にも、北へ向かって中央区銀座から日本橋にかけて再び標高が4m以上になり、微高地(びこうち)が続く。また、古川の南側にも、三田段丘の麓と同様の微高地が続く(図1-ⅳ-1)。

図1-ⅳ-1────港区近辺の地形分類図(地理院地図より作成)


 新橋駅東口側には、国土地理院の一等水準点(標高3.4m)がある。水準点は標高を正確に求める水準測量の基準点で、主要道路沿いに設置されるものが多い。第一京浜沿いにたどってみると、地下鉄大門(だいもん)駅付近(浜松町1丁目)は3.1m、芝4丁目交差点付近では3.5m、札の辻交差点付近の芝5丁目では4.3m、三田3丁目では4.2m、品川駅北方の高輪3丁目では4.8mとやや高くなる。芝4丁目交差点付近から品川駅前にかけては、第一京浜が微高地の上を通るためである。
 台地の縁に細長く南北方向に続く微高地は、かつての海岸部に形成された砂州地形と考えられる。溜池の谷の出口の虎ノ門付近や、愛宕山下から港区役所付近まで砂州地形が連続する。これは古川の谷の出口で一度途切れ、三田段丘の東側から再び台地に沿って連続する。
 第一京浜の芝4丁目付近から続く微高地は、江戸時代の海岸線に沿うもので、札の辻付近で台地の下の砂州と合流する。高輪台地の麓は旧海岸線が迫り、品川駅付近で砂州の幅は非常に狭くなる。
 また、日本橋から銀座付近の微高地も、別系統の砂州といえる。この砂州は日本橋川の北側に連続し、お茶の水の駿河台に接するもので、「江戸前島(えどまえじま)」とよばれる(貝塚 1979,松田 2013など)。
 以上のように、港区付近の東京湾岸の低地では、古川の北側では東西2列の砂州がみられ、古川の南側では台地の下に1列のみみられる。これらの砂州は比高1~2m程度の微高地のため、都市化に伴い不明瞭になっている。
 一方、現在の港区の海岸線はすべて埋立地のものである。海岸1~3丁目、芝浦1~4丁目、港南1~5丁目、台場1・2丁目の海岸部が該当する。埋立地の間の水路は、芝浦運河、新芝浦運河、高浜運河、京浜運河などがある(写真1-ⅳ-1)。

写真1-ⅳ-1────高浜運河(港南4丁目)


 幕末のペリー来航で7か所の台場(砲台)が建設された。現在、台場公園の第三台場と東京湾の第六台場が残されている(写真1-ⅳ-2)。台場のほか、江戸時代にも現在の浜離宮恩賜庭園・旧芝離宮恩賜(おんし)庭園付近などの埋め立てが行われたが、大規模な埋め立ては大正期以降である。

写真1-ⅳ-2────第六台場とレインボーブリッジ