2)埋め立ての変遷

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 明治13年(1880)測図の地形図では、浜離宮恩賜庭園や旧芝離宮恩賜庭園周辺が人工的な海岸となっているが、古川河口の南側は自然の海岸線沿いに東海道線の線路がみられた。線路を除けば江戸時代とほとんど変わらない自然の海岸線で、干潮時には干潟があらわれた。
 明治42年(1909)測図の縮尺1万分の1地形図では、現在の日の出ふ頭(海岸2丁目)と芝浦1丁目付近が、埋め立てが終わったばかりの空き地として示され、その間に「ロセッタホテル」という汽船のホテルが係留されていたことが示されている。
 大正6年(1917)測図の2万5千分の1地形図では、現在の芝浦2~4丁目まで埋立地が拡大し、品川駅の東側も埋め立てて鉄道の敷地となった。
 昭和4年(1930)修正測図の2万5千分の1地形図では、現在の海岸3丁目、港南2丁目の部分が新たに示されている。
 昭和20年(1945)修正の2万5千分の1地形図では、現在の港南3・4丁目が造成されたことが示されている。
 昭和41年(1966)改測2万5千分の1地形図では、現在の港南5丁目、台場1丁目は埋め立て中の白抜きで示されている(図1-ⅳ-2)。

 

図1-ⅳ-2────埋立の変遷(上:明治42年(1909)、下:昭和41年(1966))(貝塚・清水編 1996)


 昭和51年(1976)改測2万5千分の1地形図では江東区青海1~3丁目、中央防波堤までが埋め立てられ、ほぼ現在の海岸線と同様になった。