1)港区周辺のプレートと地震

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 港区は日本列島中央部に広がる関東平野のほぼ中央に位置している。この関東平野は国内最大規模の平野として知られているが、それのみでなく、その地学的背景が世界的にみても類例の少ない特殊なものである。これは日本列島周辺のプレートの複雑な配置と運動に関係している。日本周辺のプレートは複数あり、それらは日本列島をのせる大陸プレート(糸魚川-静岡構造線付近を境に東側は北米プレート、西側はユーラシアプレートとよばれているが、両者をユーラシアプレートとして一括する場合もある)、海洋プレートである太平洋プレート、フィリピン海プレートからなり、それぞれの境界には日本海溝、伊豆・小笠原海溝、相模・駿河・南海トラフがのびる(図2-ⅰ-1)。北米・ユーラシアプレートの下には,日本海溝-伊豆・小笠原海溝と相模・駿河・南海トラフから沈み込んだそれぞれ太平洋プレート、フィリピン海プレートがもぐり込んでいるが、伊豆半島北部ではフィリピン海プレートが沈み込めず陸側のプレートに衝突している。

図2-ⅰ-1────港区周辺の大地形とプレートの配置図(前弧海盆の位置は杉山(1989)、岩田ほか(2002)による)


 港区を含む関東平野の地下には地表から順に、北米プレート、フィリピン海プレート、太平洋プレートが存在しており、鉛直方向に三つのプレートが重なる。それらのおおよその深さは北米プレート/フィリピン海プレート境界が深度20~30km、フィリピン海プレート/太平洋プレート境界が深度80~90kmである。このように地下に複数のプレートが伏在する点が世界にも類例が少ない特殊な地学的環境をつくりだしているのである。
 日本列島は世界的にみて地震活動がきわめて活発な地域である。特にプレート間の境界部では規模の大きなプレート境界型地震がときおり発生する。関東周辺には多数のプレートが存在するのでプレート間の境界部が多くなり、結果的に様々なプレート境界型地震が起こりうる。南関東周辺において大きな被害をもたした地震には多くのものが知られており、このうち関東大震災を引きおこした大正関東地震(大正12年(1923)、モーメントマグニチュード8.2)と江戸時代に発生した元禄関東地震(元禄16年(1703)、モーメントマグニチュード8.5)(首都直下地震モデル検討会2013)は、地震発生箇所は異なるものの、いずれもフィリピン海プレートと北米プレートの境界で発生したプレート境界型地震であり、震源がトラフ(海溝)付近となる海溝型地震である。
 フィリピン海プレートと北米プレート両プレート境界の深度は、沈み込みがはじまる相模トラフから徐々に深くなり、港区付近ではフィリピン海プレートの上面深度が20~30kmとなる(東京大学地震研究所ほか 2012)。トラフから離れプレート境界の深度が深くなっても被害を及ぼすプレート境界型地震の発生はかねてから心配されており、東京付近地下のフィリピン海プレート/北米プレート境界で発生する地震が首都圏直下地震として注目されている。その発生深度はかつて30~40kmと考えられていた(中央防災会議 2005)。しかし最近では以前に比べてその深度が10km程浅く考えられるようになった。地震発生箇所がより浅いところでおきる可能性が明らかになったことは、地震による被害が以前の推定よりもより深刻となることを意味している。
 現在このような地震が首都直下でおきる可能性が示唆され、具体的な想定として東京湾北部の地震が考えられている。なお関東平野では茨城県南西部の深度70km付近でよく地震が発生する。その理由として沈み込んだフィリピン海プレートの先端が東側から沈み込んでいる太平洋プレートとこの場所と深度で接触するためと考えられている。