1,500万年前以降は水平方向の移動がなく、現在の地下地質から地形の変遷を知ることができる。江東地殻活動観測井のデータが示す、前期鮮新世~中期中新世の三浦層群(シルト岩、砂岩、礫岩)(図2-ⅱ-2)の存在から当時の関東は海域であった可能性が高い。同地点での三浦層群は、標高-1,670mにその上を覆う上総層群(後期鮮新世から前・中期更新世)との境界がある(鈴木 1996,2002)。この境界は黒滝不整合とよばれ、房総半島では地表部に連続的に追跡でき、また関東平野の広い範囲に続く。黒滝不整合を覆う上総層群は関東平野南部に広く分布する堆積物であり、それを堆積させた地形の変遷は以下のように考えられている。
関東平野の起源はプレートが沈みこむ海溝のやや内陸よりに発達する前弧海盆と考えられている(貝塚ほか2000)。通常、前弧海盆はプレートの沈み込みにともなって形成される地形であり、それらの水深は1,000~3,000mにおよび、盆地状の地形を呈する。日本列島の太平洋沖には、日本海溝や南海トラフの陸側で多数の前弧海盆が発達しており(図2-ⅰ-1)、そのような場所では沈降しながら一方で陸地からもたらされた細かな砂や泥が堆積し、凹地状地形を埋積していく。関東平野の起源もこのような前弧海盆であり、かつてのその姿は上総トラフ(あるいは上総海盆)とよばれている(貝塚ほか 2000)。上総トラフは、北米・ユーラシアプレートとその下に沈み込む太平洋プレートの間に滑り込むようなフィリピン海プレートの運動、また本州に衝突するフィリピン海プレートの運動により相対的に隆起し、陸化するに至った。これらの過程は上総トラフを埋積した上総層群に記録されている。
関東平野がかつては水深1,000m以上の深海であり前弧海盆であったことは関東平野の地下に伏在する厚い海成層、すなわち上総層群の存在からうかがい知ることができる。上総層群はその名称が示すように千葉県房総半島に典型的に露出し、同半島北部では2,000m以深の地下にも存在する(図2-ⅱ-1)。その堆積は第四紀(図2-ⅱ-2)のはじまり、すなわち約260万年前かそれより数十万年前頃からはじまり、50万年前にかけて継続した。上総層群最下部は房総半島北部から東京湾北東部にかけての範囲で深く、周辺域に浅くなり層厚も減少する。このような上総層群の基底が船底のような形状を示すため、その基底地形が上総トラフとよばれているのであり、かつての前弧海盆の地形を示している。