2)氷河時代の東京

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 約13万年前の最後の間氷期(温暖期)のあと、約8万年前までは比較的温暖で海水準も高い時代だったが、その後、約7万年前から約2万年前頃までは全体的に寒冷な時代(最終氷期)であった。
 武蔵野台地の野川(のがわ)遺跡(東京都調布市)をはじめとする南関東の旧石器遺跡は、関東ローム層中の南九州起源のAT火山灰(姶良(あいら)Tnテフラ)の上下から認められている。ATテフラは現在の鹿児島湾付近で起きた大噴火によって日本列島に降り注いだ火山灰で(2節参照)、氷河時代の最盛期である時代(最終氷期最寒冷期)と、それ以前のやや温暖な時代の境界付近である約3万年前に堆積したことが明らかにされた(町田・新井 2003)。
 それ以前の約6万年から3万年前くらいまでの時代は、海面は現在より低かったが比較的安定していたため平野が広がり、その後の最寒冷期(約2万年前)になると海面がさらに低下し、河川の下流部は深い谷を形成したものと考えられている(貝塚 1979,貝塚ほか編 2000)。野川遺跡の立地する立川段丘(立川Ⅰ面)や、東京低地の地下に広く分布する埋没段丘面は、このやや平野の広がった時代の地形面であろう(久保 2007,2008)。ボーリングデータなどではローム層の記載があり、この中に旧石器が含まれる可能性は大いにある。当時の関東平野には針葉樹林がみられ、動植物などは現在とは異なる構成であった。また、西方では富士山が時々噴火して火山灰がふっていた。
 港区内では、長門萩藩(ながとはぎはん)毛利家屋敷跡遺跡(東京ミッドタウン)で約3万年前の旧石器が発見されている(港区教育委員会 2015)。当時の海岸線は東京湾の出口付近で、海面が低かったため、遺跡付近の標高は100m近くあっただろう。遺跡から長い下り坂で古川の谷へおり、さらに深い谷をたどって、現在の東京湾アクアラインよりも先まで行かないと、当時の狭い東京湾にたどり着かなかったであろう(図3-ⅲ-4)。

図3-ⅲ-4────過去3万年間の東京湾の変遷(松田 1993 一部改変)