3)埋没地形の分布

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 東京低地では「沖積層(ちゅうせきそう)」とよばれる厚い軟弱地盤が分布する。沖積層を剥がしてみると、その下に氷河時代(寒冷期)の地形が現れる。
 東京低地中央部ではこの沖積層が厚く、地下の谷を埋めるように分布する。この沖積層で埋め立てられた谷の地形は、上流の中川低地や荒川低地の地下に連続する(図3-ⅲ-5)。谷底を下流へ追跡すると-100m近くの浦賀水道付近まで続く。東京低地の中央から東京湾の中央部にのびるこの深い谷は、東京湾に流れ込む多くの川の下流部を合わせ、「古東京川(ことうきょうがわ)」とよばれる大きな川がつくったものである。そして、周辺から流れてきた支流の谷もこの「古東京川」の谷に合流していた(松田 1993,2013)。

図3-ⅲ-5────東京低地と周辺部の沖積層基底(松田 2013)


 港区の範囲では、武蔵野台地を流れる神田川の谷の延長となる「丸の内埋没谷」、溜池の谷や古川の谷の延長となる谷などが分布し、東京低地中央部の「古東京川」に合流する。武蔵野台地の中の神田川の谷は東京駅方面へ続き、「丸の内埋没谷」(古(こ)神田川の谷)となって(図3-ⅲ-6)、新橋駅の南で地下25m以上の深さを有している。溜池の谷の続きは、新橋駅の西方の地下15~20m付近でこの「丸の内埋没谷」に合流する。

図3-ⅲ-6────丸の内埋没谷の柱状図(虎ノ門1丁目、孔口標高:T.P.+5.23m)


 古川の谷の続きは、芝公園の南で地下10~15mの深さの谷となっているが、「丸の内埋没谷」とは合流せず、田町駅の東側を南東に向かっている。
 一方、これらの谷の周囲では、標高-5mくらいのところに平坦な地形が続き、「日本橋埋没台地」「芝埋没台地」などとよばれる(港区 1979)(図1-ⅱ-1、図3-ⅲ-7)。

図3-ⅲ-7────芝埋没台地の柱状図(芝公園1丁目、孔口標高:T.P.+3.00m)


 これらの埋没台地は、海面が上昇した時に削られて波食(はしょく)台(海食台)という平坦な地形になったと考えられている。もしかしたら関東ローム層にも覆われていたかもしれないが、その場合も下末吉面(淀橋台)や武蔵野面(本郷台)よりは低い面であったかもしれない。いずれにしても、削られて証拠が失われてしまったため確かではない。ただし、汐留遺跡では埋没波食台の周辺に関東ローム層のブロックが確認されたため、波食で台地が削られたことが推定された(東京都埋蔵文化財センター 2000)。