船着き場の建設などのほか、全国各地の遠浅の海岸では「干拓」が行われてきた。干拓とは字面の通り、浅海底を「干して」開発するもので、水深の浅い海や湖沼に堤防を築き、堤防と岸の間の水を排水して陸化することである。その結果、水面下の土地が生まれる。干拓は主に農地として利用されてきたが、塩田として利用されたところもある。東京湾では千葉県市川市の行徳の製塩が有名であった。九州の有明海では7世紀頃から干拓が行われたといわれるが、大規模な干拓は近世以降である。
一方、埋立地は水域に土砂などを投入して水面上に新たな陸地をつくり出すことであり、江戸では塵芥による埋め立ても行われた。幕末には黒船の来航を契機に、台場が築かれた。
明治以降は港湾・産業用地として東京湾岸の埋め立てがすすんだ。埋め立てには主として河川や海底を浚渫(しゅんせつ)した土砂が利用されたが、土地造成などで発生した土砂も利用された。さらに、東京では関東大震災のがれき・残土やゴミによる埋め立ても行われた。生ゴミの投入でハエの発生が問題になり、地域間対立が「ゴミ戦争」とよばれたこともあった。
現在は、東京湾中央防波堤外側最終処分場で、焼却灰や不燃物などが破砕され、土壌と交互にミルフィーユ状にして埋め立て処分を行っている。廃棄物の埋立地は公園やゴルフ場などに利用されている(久保 2005)。
図(1)────東京湾埋立の推移
写真(1)────東京湾中央防波堤外側(埋立地)