3)第四紀完新世・歴史時代

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 ヤンガー・ドライアス期終了後には、現在と同様に南極大陸やグリーンランドに氷床が存在したものの気温上昇が明瞭となり、日本では縄文時代の前期から中期にあたる6,000年前から5,000年前に気温の高極を迎えた。この時期はヨーロッパや東アジアを含む世界のほとんどの地域で現在より1~3℃温暖であったとされ(Lamb 1982)、ヒプシサーマル(hypsithermal)あるいは気候最適期(climatic optimum)などと呼ばれる。また、海水面が最大40m程度も上昇し、関東平野では現在の栃木県藤岡町や群馬県板倉町付近まで奥東京湾が侵入していた(東木1926)。縄文時代の中期を過ぎると気温は低下し、引き続く弥生時代はやや寒冷な時代であった。
 弥生時代以降の気候復元は、樹木の年輪や、より新しい時代になると文書資料として古日記、また日本では花宴や御神渡りなどの記録を代替資料(proxy data)に用いて行われる。世界各地で古気候の復元が行われており、地域による差異なども次第に把握されるようになってきた。また、数値シミュレーション(気候モデル)も精度向上がすすんでいる。
 図3-ⅰ-3は世界各地の気候復元データや数値シミュレーションに基づく850年(西暦)以降における北半球気温の変化を示している(IPCC 2007に加筆)。また、日本において発生した主な飢饉と世界の大規模ないくつかの火山噴火の時期も概略示してある。

図3-ⅰ-3────1000年スケールでみた古気候復元(陰影)および数値シミュレーション(赤線)による北半球気温と
主な飢饉(枠囲)や火山噴火(図下部、括弧内は噴火年)の発生(IPCC 2007に加筆)

復元された気温の重なり(資料間の共通性)は陰影の濃さで示されている。太い赤線は複数モデルの平均で、細い赤線は複数モデルの90%幅を示す。
飢饉について、赤は干ばつ、青は冷夏・長雨、黒は蝗害の影響が大きいと考えられることを表す。


 図3-ⅰ-3を概観すると、18世紀半ば~19世紀の産業革命以降、気温の上昇傾向が認められるが、それ以前は寒暖の変動があるものの、緩やかに気温が低下していたことが分かる。期間の始めに近い10~12世紀は、日本においては平安時代にあたるが、この時期の気候が温暖であったことを示す資料がヨーロッパを中心に多く存在し、中世の温暖期(Medieval warm period)と称される。ただし図3-ⅰ-3の陰影部分の幅からも示されるように、温暖ではあるが気候復元結果のばらつきが大きく、地域や年代による差異の大きいことが分かってきた。そのため近年では中世の気候異常期(Medieval climatic anomaly)とも呼ばれるようになった。太陽活動と関係する宇宙線によって生成率が変動する14Cを用いた分析から、この時期は太陽活動が活発であったことが指摘され、また火山の噴火活動が弱く火山灰による日傘効果の小さかったことが温暖の要因と考えられている
 12世紀以降の気温低下期には、何回かの飢饉が発生している。平安時代末期における養和の飢饉(1181~1182年)は、鴨長明の方丈記にも「春夏ひでり」とあり飢饉の主要因は干魃と考えられるが、鎌倉時代の寛喜の飢饉(1231~1232年)や正嘉の飢饉(1258年から数年)は冷夏が要因とみられ、図3-ⅰ-3においても気温の低下が認められる。また室町時代の長禄・寛正の飢饉(1459年から数年)は干ばつ年に続いて冷夏・長雨年が現れている。この前後は気温が大きく変化しており、それに先立つ1452~1453年にはバヌアツのクワエ火山が大規模噴火を起こしている。
 長禄・寛正の飢饉が発生した15世紀半ば以降のおよそ400年間は全球的にも気温の低い時期にあたり、小氷期(Little ice age)と呼ばれる。いわゆる戦国時代の開始頃から江戸時代幕末頃までの期間に概ね相当する。小氷期の後半にあたる18世紀中頃の東京都八王子市における7月の気温は変動が大きく、平均すると現在よりも1~1.5℃低温であったという(Mikami 1996)。また、江戸時代の市井のことを記載した武江年表(斎藤月岑)には、隅田川が1773年など何回か結氷したとの記録があり、江戸での積雪も現在より多くかつ高頻度であったことが推測される。
 小氷期の江戸時代には繰り返し大規模な飢饉が発生し、江戸四大飢饉として知られる寛永(1642~1643年)、享保(1732年)、天明(1782~1787年)、天保(1833~1839年)の大飢饉のほか、延宝(1675年)、元禄(1691~1695年)、宝暦(1753~1757年)などの飢饉が知られている。これらの飢饉は、被害の大きかった地域に差異があるものの、低温(冷夏)あるいは長雨などの天候不順によって発生しており、享保の大飢饉は蝗害(イナゴ)による影響も大きかった。これらの飢饉の発生に先立ち、図3-ⅰ-3に示した以外にも、富士山や浅間山を含む、いくつもの国内外の火山の噴火が発生している。また、小氷期の中期にあたる1650~1710年と後期の1800年代の前半は、太陽活動の活発さの指標である太陽黒点数が著しく減少した期間にあたっており、それぞれマウンダー極小期とダルトン極小期と呼ばれている。すなわち江戸時代の小氷期は、太陽活動が不活発な時期で日射量が減衰した時期であり、加えて火山噴火により放出された火山灰の日傘効果が加わって大規模な飢饉が発生したと考えられる。また、飢饉によって被害の地域性が異なることからも、大気循環に影響するエルニーニョ現象などの要因も加わっていることが示唆される(山川 1993)。