居住地のごみ捨て場 -西久保八幡貝塚-

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 飯倉台地の北側斜面に位置する西久保八幡貝塚(図2-3-6)は、昭和初期には発見されており、その後、縄文時代後期の貝塚として知られるようになりました。しかし、昭和58年(1983)に発掘調査がおこなわれるまで、その実態は明らかではありませんでした。
 発掘調査では土の層を挟み、上下に貝層が見つかりました。西久保八幡貝塚は小規模な貝塚で、伊皿子貝塚のハイガイやマガキのように特定の貝が目立つことはありませんでしたが、28種の貝が出土し、上部の貝層ではオキシジミガイ・オオノガイなどが多く、下部の貝層ではハマグリ・ハイガイが主体であることがわかりました。
 貝層からは貝殻以外の食べかすであるアジ・スズキ・クロダイ・マダイ・コチなどの魚骨や、ノウサギ・シカ・イノシシなどの獣骨も確認されています。また、多くの土器(図2-3-7)も出土し、石器や骨角器なども見つかりました。
 西久保八幡貝塚は縄文時代後期、伊皿子貝塚よりも少し新しい時期につくられた貝塚ですが、海産物の加工場と考えられる伊皿子貝塚とは異なり、人びとの居住地で、食べかすや使わなくなった道具などが日常的に捨てられた場所だったのでしょう。
 このように、貝塚といっても規模や内容はさまざまであり、貝塚から得られたものを細かく分析すると、それぞれの貝塚がつくられた背景や、人びとの暮らしの様子を知ることができるのです。
(山根洋子)

図2-3-6 西久保八幡貝塚の貝層断面

図2-3-7 縄文時代後期の土器(西久保八幡貝塚出土)