古墳がつくられた時代のむら

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4世紀の後半になると港区域でも古墳がつくられるようになり、港区域は名実ともに古墳時代に入ります。古墳時代の中後期に相当する5、6世紀のむらの跡が高輪台地などで発見されていますが、資料が豊富とはいえません。古墳時代後期の竪穴建物跡が2軒、伊皿子貝塚遺跡で重複して検出されています(図3-3-10)。しかし、ともに残存状態が悪く、かまどがつくられていたこと、かまどの周辺に壁溝(竪穴の壁の下に掘られた溝)が掘られていたことを除き、詳しい様子はわかっていません。出土遺物もわずかでした(図3-3-11)。その後、古墳時代終末期にかけての資料も乏しく、古墳時代後半の様子は明らかではありません。
(髙山 優)

図3-3-10 伊皿子貝塚遺跡検出第2号・第3号住居跡

図3-3-11 伊皿子貝塚遺跡検出第2・3号住居跡出土遺物(縮尺1~4:1/8、5~13:1/6)
港区伊皿子貝塚遺跡調査団編『伊皿子貝塚遺跡』(1981年)収載図を転載、改変