文人大名が刻んだ三田の古代史

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図3-4-1 亀山碑(三田四丁目、亀塚公園内)


 11世紀に、菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)によって書かれた『更級(さらしな)日記』に、東国の赴任地から京に戻る父に随(したが)って孝標女がみた古代の武蔵野の情景が描かれていますが、この父娘がたどった道が、三田台から高輪台に至る台地上に整備された幹線道と考えられています。後に中原道(なかはらどう)と呼ばれる往還ですが、考古学的な発掘調査により、道沿いに古代の集落が点々と営まれていたことがわかってきました。
〈→『通史編』原始・古代・中世 「古代」第三章〉