竹芝寺伝説とは、『更級日記』に記された皇女と衛士(えじ)の恋物語です。平安時代後期の寛仁4年(1020)、東国から京に戻る一組の父娘がありました。父の名は菅原孝標(すがわらのたかすえ)といい、孝標の娘が、帰京から約40年を経た康平3年(1060)頃に書き上げた一編の回想録が『更級日記』です。その中に「今は武蔵の国になりぬ」で始まる一文があり、黒っぽい砂泥の浜辺と蘆(あし)や荻(おぎ)の生い茂る原野が続く武蔵野の情景が綴られています。さらに『更級日記』は、都から落ち延びてきた皇女と衛士(えじ)の話に続きますが、この孝標父娘がたどった道が、三田台から高輪台にかけて通じている官道と考えられています。
物語では、皇女が亡くなると衛士は居所を寺に変えます。それが竹芝寺で、三田済海寺はその跡地に当たると亀山碑に刻まれています。ちなみに皇女と衛士の子孫は、後に武蔵竹芝(武芝とも)を称する豪族となったとあります。ただ、竹芝寺の故地については異説もあり確定はできていません。
図3-4-2 亀山碑拓影・翻刻
旧字・異体字は適宜新字・正字に直した