中世は武士が主役となり戦乱が打ち続いた時代でした。一般的には、鎌倉時代・南北朝時代・室町時代・戦国時代と区分されています。そして、古代律令制が大幅な変質を見せる10世紀や11世紀を画期として、天皇家の家長「治天(ちてん)の君(きみ)(多くは上皇・院)」が国政の実権を握った院政期以降を「中世」と見なす見解が現在では一般的です。伊勢平氏や河内(かわち)源氏ら武家の棟梁は、院の武力として登用され、中世国家の軍事権力へと成長し、政界に進出していきました。同時に、この時代の気候は概ね寒冷で、このため、慢性的な飢餓状態にあり、戦乱の根本原因をそこに求めることも可能です。そうした厳しい社会状況の中でも、徐々に農業生産力は高まっていき、村々に暮らす人びとの生活レベルも少しずつ上昇していきました。
光明寺の弥陀種子板碑