鎌倉幕府が倒れた後、後醍醐天皇が親政を目指した建武政権期を挟み、これに叛(そむ)いて京都に室町幕府を開いた足利尊氏(1305~1358)が奉じた北朝の天皇と、吉野に逃れた南朝が並立する南北朝時代となります。尊氏は、鎌倉公方(くぼう)を長官とする鎌倉府を置き、関東地方を統治させます。足利氏は、将軍尊氏と弟直義(1306~1352)が権力を分割する二頭政治の形を取りましたが、これがたたり、遂には兄弟が反目し合う、観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)(1350~1352)に陥ってしまいます。両者の抗争は、足利一門や配下の武士のみならず、南朝の残党も巻き込み、泥沼の様相を呈します。全国を舞台に合戦がおこなわれ、関東でも、石浜・武蔵野合戦(1352)が勃発するなど、江戸氏も活躍を見せています。70年に及んだ内乱もようやく北朝の勝利に決着しました。間もなく南北朝は合体します。
図4-1-2 建武4年(1337)正月7日「足利直義御教書」
区指定文化財 芝大神宮所蔵