江戸氏の熊野信仰

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 熊野御師(おし)の廊之房が、檀那(信者)である武蔵国江戸氏一族を書き上げたものに「江戸名字之書立」(米良文書)があります(図4-3-1)。
 
(端裏書)
「名字武蔵国江戸書立、廊之房」
武蔵国江戸の惣領之流
六 郷 殿   しほ屋との   まつことの
中 野 殿   あさかやとの  いたくらとの
さくらたとの  いしはまとの  うししまとの
大 と の   こうかたとの  しはさきとの
うの木との   けんとういん  かねすきとの
こひなたとの
このほか、そしおヽく御入候、
 はらとのいつせき
 かまたとのいつせき
  応永廿七年 五月九日
 
 それぞれ、六郷(現在の大田区)・中野(中野区)・阿佐谷(杉並区)など現在も残る東京の地名で呼ばれており、各一族の支配地が判明すると同時に、当時の江戸氏一族の広がりがわかります(表4-3-1)。同じ頃のものと思われる「豊島名字之書立」(米良文書)にも「江戸 南いい蔵殿 北いい蔵殿」と見えていますので、「いたくらとの」は飯倉殿と考えられ、港区飯倉に江戸氏の一族がいたことがわかります。また、「さくらたとの(桜田殿)」も現在の皇居桜田門を中心とした千代田・港区にまたがる桜田郷を支配した江戸氏一族と考えられます。このほか、荏原(えばら)郡を含んだ城南地域も見えますので、現在の港区域は江戸氏の勢力圏と見て良いでしょう。応永年中(1394~1428)の開創とされる飯倉熊野神社(図4-3-2)は、江戸氏の熊野信仰に関わるものと考えられます。
 「江戸名字之書立」「豊島名字之書立」というふたつの史料から、江戸氏の勢力圏は大体4類型に整理できます。①神田川-平川(現在の日本橋川)流域の国府方(千代田区)、小日向・金杉(以上、文京区)、芝崎・江戸(以上、千代田区)、②入間川-隅田川流域の東京低地の石浜(台東区・荒川区)・牛島(墨田区)、③多摩川下流域の六郷・鵜(う)の木・原(以上、大田区)、そして④東京湾岸の桜田(千代田区)・飯倉です。すなわち、江戸氏の勢力範囲は、隅田川河口部から港区域を含んだ豊島郡の東南部と荏原郡東部にまたがる地域ということになります(図4-3-3)。

図4-3-2 飯倉熊野神社(麻布台二丁目)

図4-3-3 中世江戸氏分布図
台東区教育委員会編『中世の千束郷』(2013年)をもとに作図