「八カ国の大福長者」江戸重長

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 さて、江戸氏とはいったいどのような一族だったのでしょうか。江戸氏は、秩父平氏の一族で、武蔵国江戸郷(現在の千代田区)を名字とします(図4-3-4・図4-3-5)。平安末期の当主は太郎重長(本章1節の図4-1-1)といい、治承4年(1180)の源頼朝の武蔵入国を阻んでいます。結局、重長は頼朝の隅田川渡河作戦に尽力することとなり、頼朝の鎌倉入府に大きな功績を挙げることになります。これは、江戸氏が下総・武蔵国境の隅田川河口の渡し場「隅田の渡し」を管理していたためでした。隅田の渡しは、古代東海道が下総国葛西郡隅田宿(墨田区)から隅田川を渡って武蔵国千束(せんぞく)郷石浜(台東区)に着岸する交通の要衝(ようしょう)です。石浜は東京湾内の漁船のみならず、太平洋海運で航行してきた西国舟が集まる港であり、水陸交通を通じて富がここに集中していました。これを掌握した江戸氏の富裕振りが「八カ国(関東)の大福長者」と評されたのです。

表4-3-1 「江戸名字之書立」分析表

図4-3-4 日枝神社(千代田区)
江戸郷の鎮守。江戸重長の父重継の勧請と伝える。

図4-3-5 江戸氏略系図