江戸衆のその後

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 永禄5年(1562)太田康資は、北条氏から離反し、安房(あわ)(現在の千葉県)の戦国大名里見氏に従います。このため、北条氏と里見氏の第2次国府台合戦(1564)に里見方として参戦するものの敗れます。勝利した北条方にしても、遠山氏・富永氏が戦死し、江戸衆は事実上、解体されました。
 この後、江戸城には北条一門が城主として入り、江戸北条氏が成立しますが、それも2代で断絶し、その後、北条宗家で4代を引退していた「御隠居様」北条氏政が江戸廻りを管轄しました。
(今野慶信)