鎌倉仏教のひとつ浄土真宗の開祖親鸞(1173~1262)は、建仁元年(1201)29歳の時、京都において法然の門に入ります。承元元年(1207)35歳の時、専修念仏の停止令が出され、法然は四国配流、親鸞は越後国に流罪となりました。建保2年(1214)42歳の時、越後より上野国を経由し、常陸国に入り、しばらくここで布教します。約20年の間、北関東を中心に、信者を増やし、嘉禎元年(1235)頃、京都に帰りました。その後、主著『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』を著し、全国の門弟を指導し、弘長2年(1262)90歳で入滅(にゅうめつ)しました。
親鸞が善福寺(図4-5-2)に立ち寄ったとされる時期は、北関東における布教の時期に当たりますが、善福寺では、親鸞が当寺を出発したという11月6日は報恩講として、当時の献立が再現され、食器も当時のものを用意しておこなわれています。
図4-5-2 善福寺本堂(元麻布一丁目)