荒木門徒は、親鸞-真仏(しんぶつ)-源海という法脈を継いでいます。真仏については、下野国の高田門徒の真仏と同一人物かどうか諸説ありますが、源海については、武蔵国荒木の満福寺(現在の埼玉県行田市。のちに愛知県豊田市に移転し、如意寺となる)を拠点としていました。源海は、弘安3年(1280)の親鸞忌日法会(きじつほうえ)の挙行を、高田門徒の顕智と常陸国の鹿島門徒の性海と共に指示しており、東国門徒を代表するひとりでした。
荒木門徒の分布状況について、近年注目を浴びている「親鸞聖人惣御門弟等交名(きょうみょう)」(滋賀県・光照寺所蔵)から見てみましょう(図4-5-4)。下野・上野など北関東の一部にも分布していますが、南関東では、武蔵国の手計(てばか)(現在の埼玉県深谷市)・野辺・岡部(以上、同深谷市)・大袋(同川越市)・千代(せんだい)(同熊谷市)・桶川(同桶川市)・川口・十二月田(しわすだ)(以上、同川口市)、下総国に四ツ木(現在の東京都葛飾区)・小松川・篠崎(以上、同江戸川区)・寺島(同墨田区)、相模国に大庭(現在の神奈川県藤沢市)・山下(同平塚市)など広く分布しています。親鸞が常陸を中心に種を撒いた門徒は、南関東にも広がりつつあったのです。しかし、荒木門徒は、拠点の満福寺の移転からわかるように、南北朝期には早くも衰退してしまったようで、現地に痕跡はほとんど残っていません。なお、大庭門徒は甲斐国へ発展し、山下門徒が相模国の善福寺(現在の神奈川県大磯町)として存続しました。
図4-5-3 了海上人像
善福寺所蔵
図4-5-4 阿佐布門徒略系図
「親鸞聖人惣御門弟等交名」より作成