木材、釘などの金物類、大工や運送業者の人件費などからなっていることが読み取れます。
上水の幹線に利用される大口径の木樋(もくひ)は、敷板・側板・蓋板を組み合わせ、これを連結していくものですが、とくに強い水圧に耐えるよう、二重蓋や〆枠、巻鉄物で補強しました(図5-3-6)。
木樋の用材は主に檜(ひのき)か松で、幕末には椴(とどまつ)が多くなるといわれていますが、本工事では松材が多用され、その材質の吟味が特記されていました。
こうした用材のつなぎ方に水道の技術の要点はありました。仕様書では板と板のつなぎ方について「矧」という字が使われています。これは和船の造船技術に由来する「矧(は)ぎ合(あ)わせ」という木材接合技術でした。表5-3-1の4~6に見える「落貝折釘(おとしかいおれくぎ)」というのはこの矧ぎ合わせのための落釘(縫釘ともいう)として「貝折釘」を用いることを示しています。これらの釘も和船についての技術書『和漢船用集』に紹介されているものでした(図5-3-7・図5-3-8)。
せっかく高い技術で製作された樋筋も、それを据え付ける地盤が安定していなければたちまち漏水などを引き起こしてしまいます。そこで「赤土」、粘土質をもつ関東ローム層の土を足し、胴突き、すなわちやぐらを組んでその中に太い丸太を立て、数本の綱をその丸太の根元に結び、その綱で引き上げては落として突き固める工程が組み込まれていました。こうして下地を固めたうえで樋を受ける「杭木」による基礎構築が施されました。とくにこの工事では打ち込んだ杭木の上に横木を架け渡していく「そろばん」という工法が取り入れられていました(図5-3-9)。
水道インフラの維持管理は、このような高度な技術の組み合わせと、それらを統括するシステムによって支えられていたのです。
(西木浩一)
表5-3-1 天保4年(1833)樋枡御普請組合入用内訳帳
『玉川上水留』2(国立国会図書館所蔵)より作成
図5-3-5 玉川上水赤坂柳堤田町三丁目より五丁目樋枡御普請絵図(加工)
『玉川上水留』2 国立国会図書館デジタルコレクションより転載
文化7年(1810)にそれまでの石樋を木樋に付け替え、さらに大下水と上水樋筋を入れ替える大普請が実施された。それから23年が経過し、本格的な普請が必要と判断され実施されたのが天保4年(1833)の工事であった。
図5-3-6 補強された樋の連結イメージ図(加工)
『玉川上水留』12、国立国会図書館デジタルコレクションより転載
図5-3-7 板の矧ぎ合わせ説明図
『国史大辞典』第14巻(吉川弘文館、1993年)
図5-3-8 銅鉄金具之部『和漢船用集』(部分)
早稲田大学図書館所蔵
図5-3-9 玉川上水幹線樋請杭木の様子
『港区No. 10・11-2遺跡発掘調査報告書』赤坂一丁目地区市街地再開発組合、2015年