地震と火事は江戸を代表する災害でした。被災した江戸の人びとは、再び使用することができない生活用具などは自ら処分することが原則でした。とくに、大量の物品を所持している大名屋敷では、破損した物品や瓦などの建材の廃棄処分は深刻な問題であったと考えられます。多くの場合は屋敷内にごみ穴を掘り、さまざまな品々を処分しました。火災で焼けただれた陶磁器や、被熱によって変色した瓦、焼け焦げた木材などが出土します。被災後の後始末に頭を痛めたのは大名だけではありませんでした。芝田町五丁目町屋跡遺跡では、火事で焼けた生活用品と焼土が、下水溝から出土しており、被災後に投棄されたと考えられています。
港区内各所の近世遺跡で発見されている考古学資料は、常に災害と向き合ってきた大都市・江戸の、まちづくりや屋敷管理上の対策、被災後の人びとの行動の一端を教えてくれます。
(髙山 優)