隠密廻りの証言によれば、二階番は風呂上がりの客に茶を差し出し菓子などを売るのが仕事で(図5-6-4)、その売り上げはそのまま彼の収入になりました。このため湯屋の主人へ敷金を払って、この二階番の権利を確保していました。ところが入浴客の内、2階へ上がってくる常連さんが少ないとたちまち生活に関わるので、芝あたりの湯屋では二階番が若い女性を茶汲み女と称して雇い、客へのサービスをさせたのです。すると、たちまち評判を呼び、こうした女性のいない湯屋は入湯人がまばらになったといいます。
実際に探索した結果、これらの湯屋では16歳から21歳位の若い女性を、300文ほどで雇っていました。格好のカモ、いやお客さんは勤番武士。彼らは若い女性が茶汲み女としてサービスしてくれる湯屋の2階におしかけると、5、60文の菓子を買っては100文銭を払い、「釣りはいらぬ」と見栄をはります。おかげでもうけは大きく、茶汲み女に払う金を差し引いても二階番の利益が増えたというのです(『東京市史稿』産業篇第58)。
勤番武士は、野暮と好色の代名詞のように、江戸文芸や川柳でいじられる存在でしたが、風呂上がりに菓子を買って、若い女性の手前釣りをとらないとは、いじらしい感じすらしてきます。
図5-6-4 湯屋の2階
山東京伝『賢愚湊銭湯新話』国立国会図書館デジタルコレクションより転載
江戸の湯屋には脱衣場から梯子で上がる2階のスペースがあり、湯上がりに茶を飲み、菓子や寿司をつまみながら、談話をしたり将棋を指したりと、まったり過ごす交流サロンだった。